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カテゴリ:北海道スピリチュアルイベント
ふきだし公園では、ひめのさんに良いお知らせが入ったようです。
天のサポートかな。 下の写真はひめのさんが撮ってくれた写真です。 次の目的地は比羅夫駅。羊蹄山の北側を回り倶知安(くっちゃん)を経由して向かいます。 当初はニセコ温泉郷で温泉に入る予定でしたが、時間的に無理なため断念します。 羊蹄のふきだし湧水は尻別川に流れ込み蘭越というところを経由して日本海側に流れこみます。 私たちが走る道は途中まで尻別川の流れに沿って走ります。 尻別川は1999年から2002年と2004年から2007年まで、国土交通省により清流日本一に認定されているということは今回初めて知りました。 途中で降りて眺めた羊蹄山は蝦夷富士(えぞふじ)とよばれるだけあって、「これは富士山だよ」と言われれば、「そうだよね~~」と思うほどその姿形はよく似ています。 写真に写っている川は尻別川。 そして羊蹄山に降り注ぐ光はたいへん美しい光でした。 比羅夫駅の案内表示がでたので、その方向に向かって走りますが、こんなところに駅があるのかなという感じでしたが、ありました、ありました。 無人駅で駅舎は民宿になっています。駅舎のとなりのログハウスはお風呂になっていて、大きな丸太をくり貫いた湯船がありました。 他にも宿泊用とおもわれるログハウスがありました。 あとから調べたら、ホームでバーベキューもできるとのこと。いいですね~~。 比羅夫という地名は飛鳥時代の将軍、阿倍比羅夫の名前からきています。 比羅夫は658年(斉明4)水軍180捜を率いて蝦夷を討ち、これを懐柔し、翌年再び蝦夷を討ち、後方羊蹄(しりべし)を政所とし、郡領をおいて帰った。 後方羊蹄は北海道後志地方ともいわれてる。 比羅夫はこのあと天智天皇元年(662)になって、百済救済の対新羅戦に水軍の司令官として遠征し、その翌年8月、白村江の戦いで大敗を喫してしまう。 そののちは西国の総管府大宰府の長官に任ぜられているという。 越国守であった比羅夫は、新潟から北海道、朝鮮半島、九州と東奔西走。 その当時の日本人として、数年の間にこれだけの距離を移動した人物はいなかったとおもわれます。 北海道神宮(旧札幌神社)のご祭神候補にも上がった阿倍比羅夫ですが、調べたところ倶知安神社にご祭神として名を連ねているだけでした。 これも比羅夫神社が倶知安神社に合祀された際に増祀されたものと推測されます。 比羅夫神社に関しては、過去にあったという情報だけで場所も特定できていませんでしたので、訪問先にも入っていませんでした。 しかし今回、全然関係ない方向に走ったり、行き過ぎたりして、結果として羊蹄山を左回りに一周して、始点と終点をきっちり結ぶかたちになりました。 しかもその結果、比羅夫神社のところを通ることになりました。 目を閉じていたひめのさんが、その瞬間に目をさまし神社を発見。すごいセンサーです。 喜楽さんは走行中も土地に感謝と祝福、癒しのエネルギーを送ってくださっています。 ひめのさんはこの地で阿倍比羅夫たち朝廷軍によって殺傷された魂、悲しく辛い経験をした魂を癒し光にかえすとともに道内に置き去りにされたまま光にもどれない阿倍比羅夫軍の魂たちを光にかえす祈りをずっと続けておられました。 このことは今朝のひめのさんのブログに書かれていますのでどうぞご覧ください。 http://plaza.rakuten.co.jp/himenoyume/diary/200905060000/ いつもありがとうございます。 みなさまに光のシャワーが降り注ぎます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.05.09 01:01:11
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