カテゴリ:Day
3学期に入って彼女はめっきり姿を見せなくなった。
そのことに対してちょっと寂しさを感じてはいたのだが、それは僕のエゴだということも分かっていた。僕の所は所詮避難所に過ぎない。クラスメートの眩しいほどの明るさに耐えられなくなって僕の所に非難しているより、クラスメートに混じって自分の明るさをゆっくり取り戻していく方が、絶対いいに決まっている。 ただ、彼女は時々、放課後になると顔を見せた。それは遊び相手が見つからなかったり、寄り道する場所が思いつかないとか、レッスンを止めて持て余した時間を潰す方法が見つからない時だったのだろう。そんな時の彼女はなかなか帰ろうとせず、まるで話が途切れて僕が帰ろうかと言い出す機会を潰そうとするかのように、しゃべり続けた。 まだ、学校以外で安心できる場所はないんだろうな、そう思いながら彼女の話に付き合い続け、また僕自身彼女と過ごす時間を大切に思っていた。 そして3月になり、僕に移動の内示が出た。 僕が次年度から別の学校に行くということは、慣習のようなものでこの学校に赴任した時から決まっていたのだが、一応発表まで教職員以外には伏せておくことになっていた。 だが、そういう噂は人知れず漏れていくもの。何人かの生徒が探りを入れてきたりもしたが、僕は白を切り続けた。 そして3学期の終業式が終わり、ほとんどの生徒とはもうこの学校の教師として会うことはないんだろうな、と考えながら机の掃除をしていると、研究室をノックする音が聞こえてきた。 彼女だった。 彼女は放課後遊びに来た時の定位置になりつつある窓際のソファに座ると、何も言わず窓のほうに顔を向けた。 「まだ学校にいたのか?」 僕が声をかけるが、彼女は何も言わずに窓の外を眺めていた。僕もそれ以上話しかけることもせず、机の端に積み上げた書類の整理を続けた。 やがて一段落付くと、僕も自分の席に座ったまま窓の外を見る。夕陽を浴びた南校舎の壁がゆっくり色を変えていく様子と、窓からほんの僅か差し込む西日に彼女の髪が輝き、彼女が頭をほんの少し揺するだけでその輝きが万華鏡のようにきらめく様をじっと見ていた。 「せんせい……、学校替わるって、ほんとう?」 どれくらい経っただろう。彼女は僕から顔を背けながら、こう口にした。 「うん……。今度は○○高校の定時制だよ」 彼女には嘘を吐いたりとぼけたりしたくなかった。 また彼女は黙り込む。だが、今度の沈黙はすぐに破られた。彼女は突然振り向くと、思い詰めた顔で僕をじっと見た。 「わたし、芸大受けることに決めたの。絶対受かってみせるから」 それは、彼女の決意表明であり、その言葉には「芸大を受験しようと思える環境を取り戻した」という意味も含まれていた。 「そうか。頑張れよ」 素っ気ない言葉。だけど、僕が思っていることは全部伝わったようだった。 彼女はソファから立ち上がり、深々と頭を下げた。 「いままでありがとうございました。お元気で」 そして彼女はそのまま顔を伏せるようにして部屋を出て行った。人気のない廊下から彼女のスタスタという足音が聞こえる。その音はだんだん小さくなっていき、すぐに聞こえなくなった。 その夜、僕は約1年続いた禁煙を破った。 4月になって僕が今の定時制に来てから、時々思い出したように彼女からのメールが届いた。大抵は学校の様子や彼女の友だちの失敗談を伝えるもので、彼女の近況についてはほとんど書かれていなかったが、その文面からは彼女が元気に頑張っている様子が伝わってきた。 それが、突然泣き出しそうなメールに変わったのが、3学期が始まってしばらく経った頃だった。 半年以上のブランクは想像以上に大きかったようで、受験が迫るにつれて自分の手が思うような音を奏でてくれないことに、心が押しつぶされそうになったようだった。 だが、メールのやりとりを続けるうちに元気を取り戻したようで、今では僕が心配していることを書くと、 「大丈夫デスって。そんなに心配されたら逆にプレッシャーになっちゃいますよ~(^o^)」 なんて答えてくる。おいおい、最初に送ったあの悲壮感たっぷりのメールはなんだったんだ、と僕はPCの前でツッコんだ。 厳しい寒波が到来すると天気予報が告げていた。確かに風は冷たいが、日向に立っていると、それほど寒くはない。 僕は日向ぼっこをしながら携帯電話に転送した彼女からのメールを読み終えると、空を見上げる。 この冬一番の冷え込みが続くらしいが、その空には微かに春の気配が混じっているように感じられた。 もうすぐ、彼女の最初の入学試験が始まる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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