カテゴリ:Nostalgia Sketch
横浜に住んでいる叔父は、なぜか幼い僕の思い出に何度も顔を出してくる。他にも叔父はいるのだが、なぜか親戚とどこかへ遊びに行った記憶は横浜の叔父や叔父の家族と一緒に出かけたものになっている。ひょっとしたら、他の伯父たちの思い出が時が経つにつれて僕の中で横浜の叔父とのものに変わっていたのかもしれないから、実は本当に伯父と過ごした時間はそれほど多くないのかもしれない。
そうしたあやふやだがほの温かい思い出は、横浜の叔父に集まる。 僕にとって横浜の叔父は、そんな存在だ。 それは多分、僕がまだ幼稚園に通っていた頃だと思う。 断片的な風景の中で僕は半袖シャツと短パン、頭に黒い野球帽をかぶっていたから、多分夏休みの一場面。 両親と叔父、そしてもう一人、その頃大好きだった幼稚園の先生と同じくらいの年齢のイメージがあるから、叔母ではない誰か(多分従姉妹の誰かだろう)と一緒に大きな公園に来ていた。 整然と手入れされた芝生の緑は真夏の光の中で一層その色を増し、その中を僕は暑さも忘れて人混みを縫うように駆け回っていた。すれ違う顔、振り返ると見える顔、どれも笑っていて、その中から見える両親たちの顔も、僕の腕白ぶりに呆れつつもやっぱり笑っていた。 気が済むだけ走り回ると、さすがに疲れたのだろう。その記憶の後半の僕は、両親に手を引かれて公園をゆっくり歩いていた。憶えてはいないが、その頃好きだった両親に片方ずつ手を持ってもらってぶらりぶらりとブランコのようにぶら下がることもやってたんだろうと思う。 そんな感じで午後の日差しの中をのんびり歩いていると、叔父が突然僕のほうを振り返り空を指さした。その指先に導かれて僕も顔を上げると、 観覧車。 水色の空をバックに、色とりどりのゴンドラがゆっくりと弧を描いて回っていた。 その公園の記憶に、他の遊具は映っていない。他の遊具を見た覚えがないからこそ、その観覧車は僕の記憶の中で鮮明に鮮烈に浮かび上がる。 「あの観覧車に乗ると、海が見えるんだよ」 観覧車を見上げる僕に、観覧車と同じくらい上から叔父の言葉が降ってきた。 あの観覧車に乗りたい。海が見たい。 そう思ったことを憶えている。 この後、観覧車に乗ったのか、海を見たのか、残念ながら記憶はここで途切れ、何も憶えていない。その観覧車がどこのものなのかさえ、記憶から抜け落ちていた。 一度叔父に聞きに行こう、そして僕が憶えている幼い日の叔父と過ごした時間のことを話そうと思ってはいるのだが、なかなかそのチャンスは訪れず、何かの機会に叔父と会っているときにはそのことを忘れて今日まで来てしまった。 そしてその機会は永遠に失われてしまった。 父から叔父の訃報を受け取った。 突然のことだった。 叔父が死んだと知らされた晩、シーバースリーガルの靄の向こうに、 いつまでも回り続ける観覧車が見えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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