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アルタクセルクセスの王宮址遺跡

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2003年12月19日
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カテゴリ:映画
 クリスマス前の浮ついた雰囲気もそっちのけで、夕方研究室に居ると、S君がやってきたので急遽映画に行くことにした。

 行った映画は「ルター」である。ドイツの宗教改革者マルティン・ルター(1483~1546)の半生を描いた映画である。制作費はキリスト教関係、しかもルター派の団体から出ているらしい。宗教者を主人公にした映画は面白くないのがことわりだが、この映画も残念ながらその域を出なかった。観客も年配の人ばかりだった。
 たしかに、ルターの人生を分かりやすく、しかも理想化することなく人間としての弱い面も描いているのだが(退屈な教義論争もない)、やはり短い時間にルターの人生を詰め込みすぎて、ストーリーは唐突の感を免れない(まあこの映画を見る人はルターについて良く知っている人だけなんだろうけど)。
 そして、これは声を大にして言いたいのだが、ルター役が完全なミスキャスト。演じるのはアイルランドの俳優ジョセフ・ファインズである(「恋に落ちたシェイクスピア」、「エリザベス」、「スターリングラード」などに出演)。ルターには友人のルーカス・クラーナッハが残した有名な肖像画があるのだが、それを見るとルターは太り気味、しかも剛腹そうな顔をしている。このイメージが強すぎて、どちらかというとサル顔の色男であるファインズは全くしっくり来ない。宗教改革するよりも女を口説いているほうが似合ってそうである。

 映画はルターがアウグスティン修道院に入る1505年から、宗教改革派がドイツで一定の地位を得たアウグスブルク帝国議会での信仰告白(1530年)までが描かれる。映画では宗教改革派が認められたように描かれハッピー・エンドだったが、実際には改革派とカトリック派の争いはその後もすさまじく続けられる。
 一応ストーリーというかルターの事跡を書いておくと、ルター(ファインズ)は1505年に雷に襲われたのをきっかけに法学から神学に転じ、修道院に入る。1510年、聖地ローマに巡礼するが、そこで形式化・腐敗し守銭奴と化したローマ(カトリック)教会を目の当たりにする。1512年、ヴィッテンベルク大学の教授となる。
 1514年、ローマ教皇レオン10世はローマのサン・ピエトロ寺院建設の資金を得るために、「贖罪符」を売り出していた。民衆に地獄の恐ろしさを宣伝し、それが嫌なら「贖罪符」を買え、といったやり方だった。これに対しルターは1517年10月31日、「95か条の提題」をヴィッテンベルクの教会の戸に打ちつけ、またマインツの枢機卿に送りつけた。平等で自由な信者の共同体による教会を提案したルターの思想は、発明されたばかりの活版印刷によって瞬く間にドイツに広がっていく。ローマ教皇庁は当然怒り、1521年にルターは破門される。
 1521年、カトリック派の神聖ローマ(ドイツ)帝国皇帝カール5世(同時にスペイン王カルロス1世)は、ルターをヴォルムスでの国会に召集し、ルターに著作の撤回を迫る。しかしルターは拒否し、ザクセン候フリードリッヒ(演じるはサー・ピーター・ユスチノフ)に保護されヴァルトブルク城にかくまわれ、そこでラテン語のみで書かれていた聖書を、ドイツ語に翻訳する作業に没頭する。その間、1525年にルターの思想に影響されたトーマス・ミュンツァー率いる農民叛乱(農民戦争)が起きたが、ルターは農民叛乱には批判的だった。この叛乱は悲劇的な最期を遂げた。
 やがてルターは彼の著作に感動した元修道女のカタリナ・フォン・ボーラと結婚する(1526年)。1530年、ルター派の選帝候や都市の代表が、アウグスブルクでの帝国議会で「アウグスブルクの信仰告白」を読み上げ、プロテスタント(新教)の地歩が固められた。映画の最後に「これは信教の自由の礎となり、世界を変えた」というテロップが出てくる。

 いつもの癖で、ルターと比較できる日本史上の人は誰だろう、と考えた。僕は親鸞(1173~1262)が近いかな、と思っている。教えの中身もさることながら(親鸞はただひたすら阿弥陀如来にすがれと説いた)、共に宗教改革の先駆けそのものではないこと(ルターにはヤン・フス、親鸞には法然という先輩が居る)、当時としては異例なことに聖職者でありながら妻帯したこと(まあ親鸞は正式な僧侶ではなかったし、ルターも破門の身だから法的に問題は無かったんだろうけど)、自分の教えの組織化に熱心でなかったこと、そしてそれも関係するのだろうが、とても人間的なところである(あと、二人とも傑作ともいうべき肖像画が残されている)。親鸞の「教行信証」は、現代人の我々が見ても違和感が無いほどである(それゆえに浄土真宗教団はこれを危険視し、明治時代まで門外不出としたのだが)。
 ただ、親鸞は13世紀の人、ルターは16世紀の人である。もし時代的に近い人を求めるなら、親鸞の8代後の子孫である蓮如(1415~1499)こそ、それかもしれない。蓮如は弱小教団だった浄土真宗を、乱世の民衆に爆発的に広めた。やがて蓮如の意向に反して浄土真宗は一向一揆を起こして戦国時代の一大運動になり(蓮如同様、ルターも農民の反乱には反対していた)、また浄土真宗も教団化して形式化への道が避けられず、ついにはただの葬式仏教への道が避けられなかったのだが。

 親鸞は13世紀の人だが、同時代の日本は法然、栄西、日蓮、道元と現代に通じる多くの「宗教改革者」を輩出した。その背景には、中国との交通の活発化があると見られている(栄西、道元は現に中国に渡っている)。さらに、その当時の中国の思想界(江戸時代の日本に大きな影響を及ぼす「宋学」が隆盛を迎えた)はイスラーム商人の来航により、思弁性・哲学性の高いイスラーム教に触発されたのではないか、という説がある。歴史史料などでは証明のしようが無いので「思いつき」の域を出ず、「学説」とまではいかないが、上原専禄、榎一雄、宮崎市定といったかつての日本の東洋学の泰斗たちは、これを大きなテーマとして扱っている。
 一方、ルターの宗教改革に「イスラームが果たした役割」というと、オスマン帝国がカトリック(旧教)側のオーストリアの脅威となり(1529年にウィーンを包囲攻撃した)、カトリックにプロテスタント(新教)との妥協を余儀なくさせプロテスタントに利した、という「負の面での貢献」しか語られない。
 しかし、直接の因果関係こそわからないが、キリスト教世界、特に宗教改革へのイスラームの影響は、少しは考慮されるべきではなかろうか。
 ルターの信仰の原点には、謙遜、へりくだり、良心の不安があり、それがゆえに人間は神に全面的に依存することによりのみ救われる、という考えだそうだ(僕はこういうのは詳しくないので、阿部謹也氏の著作から引用)。それにより、聖職が世俗化し、禁欲が無意味となり、秘蹟は意味を失い、修道院ではなく共同体が信仰の中心に置かれることになるという。
 ここまで書いていると、おや、と思ったのだが、イスラーム教と全く同じじゃないか。イスラームとプロテスタントが同じだなんていうとキリスト教徒もイスラーム教徒は目をむいて怒るかもしれないが、現状はともかく、原点はよく似ている。ムハンマドが7世紀初めに始めたイスラーム教が、それまでの宗教の要素を多く取り込んだいわば「宗教改革」だったと理解すれば、実は不思議なことではなかろう。
 ただ、イスラームはその登場が早すぎたのか、12世紀の頃には秘蹟や個人的修行(聖人)を重視するスーフィズムが流行ったりして、むしろ同時代のキリスト教に近くなっていくのだから、不思議である。イスラームの苦悩が現在も続き、様ざまな形の改革運動が起きているのは、今我々の目の前に展開する世界を見れば明らかだろう。

 長くなったけど、最後にこれだけ。僕の住んでいるマールブルクは実はルターと無縁の土地ではない。街の中心にそびえる城は当時ヘッセン方伯フィリップ4世の居城だったが、彼は早くから宗教改革派に荷担していた。
 1527年にはフィリップによりプロテスタントして最初の大学が設立され(僕の通うマールブルク大学)、1529年にはこの城でルターやツヴィングリらドイツの宗教改革論者を集め、宗論が行われている。その様子は城内の壁画や大学の旧講堂に描かれている。マールブルクにお越しの際は是非御一見ください。





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最終更新日  2004年08月04日 05時05分40秒
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