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僕はドイツからトルコへ行くのに車で東欧諸国を何度か行き来し(まあ通過しただけだけど)、留学先でそういう国々からの留学生とも知り合いになったし、トルコとのからみもあってバルカン半島や中欧・東欧の歴史にも興味をもち(専門じゃないので浅いけど)、このブログにもだらだらとその関連のこととかを何度か書いてきた。特に知り合いがいて実際に自分の目で見聞きする時間が割合あったセルビアについては、このブログにも何度か書いている。 そんな僕にはとても面白かった本の紹介。 昨年亡くなった米原万里さんという方は名前は聞いたことがあったし、エッセイが面白いとは聞いていたのだが、その本を読むことは今までなかった。初めて読んだのがこの「嘘つきアーニャ・・・・」だけれども、これはエッセイではなくノンフィクションで、大宅壮一賞を受賞したそうだ。そういうのを全然知らずに読んだのだが。 米原さんの父親は日本共産党の幹部で(のち衆議院議員)、父の仕事の関係で彼女は10代前半の思春期をチェコのプラハで送った。しかも通った学校は国際共産主義の胴元であるソ連の外務省が管轄しており、授業など共通語はロシア語、そして生徒の国籍は50以上に及ぶという国際学校だった。 その中でも特に印象の残る三人の同級生、亡命ギリシア人のリッツァ、ルーマニア共産党幹部の娘アーニャ、ユーゴスラヴィア(今はそういう名前の国さえない)公使の娘のヤスミンカの思い出が語られ、そして1968年のプラハの春、1989年以降の東欧変革と30以上の歳月を経て、筆者(「私」ことマリ)が彼女たちの消息を辿るというお話。 ノンフィクションというからには本当の話なんだろうけれども、東西冷戦の最前線、そして民族主義のるつぼとなった激動の東欧(中欧)を舞台とし、しかも同じ学校に通う彼女たちはいずれもかつての東欧諸国のエリートである共産党幹部の娘たちということになれば、「小説よりも奇なり」となることは請け合いである。 ・・・・・とこれだけでもう僕には夢物語のように聞こえる。 「お前だって留学しとるやんけ」と言われても、僕は高校まで地方の公立学校でのほほんと過ごし、大学に入るまでは外国人と実際に口をきいたことがほとんどなかった。中学の時に水餃子を売ってる中国残留孤児の人とか駅前のラーメン屋の台湾人、同級生の在日韓国人と話したくらいで(ていうかどれも「外国人」とも言えないが)、いわゆる「ガイジン」という言葉で連想される白人と話したのは高校時代にチューターか何かで来ていたオーストラリア人女性と二言三言会話した一回だけである。洋楽やオペラこそ聞いてたけど、何を言ってるのかはちんぷんかんぷんだったしな。 ただ高校以降となると、19歳で初めて行った外国がトルコで、しかも最初は英語もトルコ語もろくに出来なかったのだから(学校の英語の成績は良かったけど、話すのは全く別ですな。しかも相手はトルコ人)、あの時の不安は今でこそ滑稽に思えるが、全くものすごいものだった。それがトルコの田舎には行くわ、その年末にはホステスが白人女性ばかりの銀座のキャバレーに連れて行かれるわ(勉強とは関係ないけど)と、自分の意志というよりも周りの引き立てがあってこそだが、すごい変化だった。それに留学までしちゃうんだからねえ・・・。 ・・・・しょうもない自分のことを書いてしまったが、大多数の日本人の思春期の外国人体験なんてこんなもんでしょう普通(今は高校ごとに外国人教師とかいるのかな?)。とにかくこの本は米原さんのいわば異常体験なくしてはあり得なかった本であることは間違いない。 ただこの本の面白さは、本人の体験や、激動の東欧(くどいけど中欧ともいう)史という背景にあぐらをかいているだけではない。 まずもっていくら懐かしいからって、異国でもう30年も音信不通のかつての同級生を探しになかなか行こうとは思わないんじゃないだろうか。ロシア語を専門とする人だから思い立ったし実現できたのだろうが、大変なエネルギーが必要だったと思う。所詮学校なんていい思い出ばかりじゃないだろうし。 それに出てくる人物に対して説明調では全くなく、読んでいくうちに自然にそのイメージが浮かび上がる筆致。これも真実の重みというものかもしれないが、普通こうした「激動の・・・」なんてノンフィクションを書こうとするとやはり力んでしまい、描写も大げさになるんじゃないだろうか。学校時代の思い出の場面は確かに中学の同級生の思い出話のような口ぶりなのだが(米原さんの好きな下ネタも登場)、各人が抱えるそれぞれの事情が、本人の意思にかかわりなくだんだんその人生に影響していくさまが、全体に明るい、淡々とした語り口だけにかえって不気味にのしかかってくる。 ただこういう人生の機微は共産主義国とかに関係なく(程度の差はあるかもしれない)、人間誰にでもあるものだと思う。この本のテーマは分かり易く言えば国際共産主義とは対極にあった民族とか民族主義であるが、主人公はそうしたものの叫びなどとは無縁であるつもりであるのだが、否応なくそれを意識させられていくことになる。民族主義といわずとも、こうしたしがらみはどこの誰にだってあるものだろう。 それがしっかり書き込まれて、この本は輝きを増している。共産党エリートの特異な体験談でもなく、落合信彦あたりが書きそうな「激動の東欧に取材した渾身のルポ!」などという、1年も経てば100円で売られるような床屋政談・海外紹介では決してない(そういうものへの需要があるのも確かだが)。あくまで部外者の立場に立ちながらも見事に切り取られた生きた歴史の断片がある。そうした史料は価値を失わない。 ・・・とまあ、とっても面白く読んだのだが(背景となる歴史などについては僕は割合知っているほうだし、実際に思いあたることもあったので、読みながらニヤリとすることもあった)、正直これだけカタカナがたくさん出てくるとなかなか大向こうには受けないんじゃないかと思う。東欧(中欧)の地理や民族問題なんて新聞で読みでもしない限り縁がないし。 それでもこれだけ評判になった(んですよね?)というのは、彼女の筆力や人間に対するまなざしの確かさに尽きるんじゃないかと思う。僕に欠けてるものですな。 ところで夫にするならスロヴァキア人、世界一の美男国はセルビア、ってこの本に出てくるけど、どうなんだろか。 男女を問わずスロヴァキア人にいい人が多いというは僕も感じたが。あと狭い僕の知る範囲では、美女国はスロヴェニアですな。こればかりは個人の好みだから決めつけられるもんじゃないが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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