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カテゴリ:絵を描くわたし
桜の時期、花見の話題でなじみの掲示板にこんなのが書かれてました。
………… 余談ですが、ヴィパッサナー瞑想では「花が美しい」という単純感覚さえ直接知覚ではないとされています。 これはちょっと時期的にも夢が無い一節ですね。 (o^o^o) Today 045 ■実相と虚像(2)より ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想の違いを端的に言いますと、前者は目の前の実在や感覚を加工せず見ることに対して、後者は自分が作り出した人工イメージを見ることになります。例えば「一輪の花」があったとします。ヴィパッサナーの場合「花がある」・「見た」の二点になります。香りがした場合は「匂った」とラベリングします。「美しい」「大好き」「いい香り」「お家にも飾りたい」などは二次的に発生する個人的な評価となりますから、実相を見るだけで、それらの評価へとはつながないわけです。思考の連続を切ることが目的ですから自由にイメージすることも許されません。ここでは単純な評価やイメージでさえも虚像であると判断されるのでしょう。 ……… わたしにはとっても夢がある話に聞こえたのです。 言葉になる前の世界、言葉じゃない世界がある、っていうことね、と解釈してしまいました。 本来語られていることとは違うかも知れませんね。 子供の頃、こころ魅かれたものに見入ってるということにも気付かず 「何を見てるの?」と聞かれて我に返ることがありました。 その瞬間のわたしには、言葉にすることの方がとても奇妙なことのように思えたのです。 なんというか… 自分がただそこにいる。 ただ、それとわたしがいるだけ。 世間的にはこれをトリップしている、と言うらしい。 でも誰にでもこういう時間て、あるんじゃないかなあ。 言葉にするのがズレたことのような感じ。 ほら、感動しているとき。あまりに入り込みすぎてるとさ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年01月08日 01時51分21秒
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