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いしざあの記

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2012.02.12
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カテゴリ:文学・芸術
あたしゃ、高校は小田原だ。

一昨年、突然元なんとか、
から電話があり、
なんだろ?と思ったら、
その子の友達が、資料委員とかで、
ワタシにもそこに参加しろという。

話を聞いてみたら納得。
そうそう、小田原高校は和本を持っているんだよね。

大学院に進み、
和本をいぢくることを覚えた頃、
教育実習に行くことになった。

ワタシは学部生の時に教職を取っていなかったのだ。

だって、講義が変な時間にばかりあって、
めんどうなんだもの(´・ω・`)

しかし大学院に進学した以上、
高校教員の免許くらいもっていないと。と思ったのだ。

まだ女子大状態だった、
鶴見の学部の講義に出席し、
一瞬好奇の目で見られたあと無視されて(笑)
ツライ思いをして単位を取って、
教育実習までこぎつけた。

行ってみると、先生方の顔ぶれはすっかり変わっていて、
なんともいえない感じであったが、
図書室の司書さんのおばちゃん、大場さんだったと思うが、
この方は健在だったのだ!

ワタシはそこそこ仲がいい、
くらいであったが、
愚妹がやたらと仲がよかったので、
挨拶に行ったところ、えらく喜んでくださった。

そこでおしゃべりしていたついでに、
大学院でやっていることを話すと、

 うちに和本あるわよ、見ていきなさいよ

という話になり、急遽事務室の裏に通されて、
段ボールヅメにされた和本の山を見ることになったのだ。

すげー、これ。

さすが、旧制中学だけあるわ、
という感じであったが、
まだ初まなび、のワタシには、
これをどう処理していけばいいか、
皆目見当が付かず、
いくつかの蔵書印メモを取ったくらいで、
そのままにしてしまったのだ。

でも、この和本群は、
古本屋に狙われているということも、
大場さんから聞きかされていたので、
なんとかしたいものだ、とは心のどこかで思ってはいた。

それが、長い年月を経て、ここに具現化したのだ。

正直驚いたと同事に、
不思議な縁を感じざるを得なかった。

資料委員会に参加することになり、
その和本の整理に着手したのだが、
実は、既に活字の目録が出来ていた。

それは、慶應の斯道文庫のいらした、
大沼さんがなさったことで、
その目録の序文を読むと、作成の経緯が記されており、
そこには、ワタシが教育実習でお世話になった先生のお名前があった。

そうか、やっぱり。

その先生は、もう他校に転出されてしまったそうだが、
懐かしく、うれしかった。

今の委員長さんは、その先生と元同僚で連絡があるとのこと、
よろしくお伝えください、と名刺を渡したが、連絡はなし。
これはちょっとザンネン。

とまれ、少しはものを知ることになった今、
改めて小田原高校の和本蔵書を見てみると、
高校の水準ではないことに気付く。
旧制神奈川第二中学校らしい蔵書である。

飛び抜けてすごい善本があるわけではないが、
古活字版も1点あるし、郷土史に関わる資料はいくつかあるようだ。

今後、活用出来るだろう。

お仕事は、本当に整理整頓なのだ(笑)
だから大半は力作業。

なのに、メンバーは結構なお年の方ばかり。

大丈夫かいな、と思ったが、
そこは先輩方、やりますね。

また、職業的には図書館や資料館業務出身の方ばかりで、
話を聞いているととても勉強になる。
こちらは、あまり大したことはできないが、
それでも、多少はお役に立てることもあるとて、
月1の委員会に、ぼつぼつ出席しているのだ。

今日も話し合いをひとしきりして、
本の整理整頓の作業。

こういうのは、
こんなに地味で、
こんなにも力仕事なんだね…

相方に言ったら、「いまさら何を言う!」
と、殺されそうだが(笑)

それでも皆さんテキパキと、
あっという間に終わってゆく。

まだまだ移動作業はあるが、
かなり片付いてきている。

来月も参加しよう。
少しは母校の手伝いをせねば。


帰りがけ、委員長の先生に呼び止められた。

どうやら、ワタシがお役に立てそうなことが、
あるらしい。

初代校長の、吉田庫三の遺稿集を入手したので、
小田原高校在任時代の詩文を読んでほしい、
とのこと。

これも初まなびの頃、
地元・伊勢原の友人に頼まれて、
同様のことをやってみたはいいものの、
今も残るその原稿を見て赤面しきりのトンチンカンぶり。
という経験を持つワタシであるが、

いまなら、もうすこし、
まともな通釈が出来るだろう。

吉田庫三(梅城)は、
かの吉田松陰の甥(妹の子)で、
吉田家を継ぎ、松下村塾で学んだ。

御子孫は今もご健在で
お目にかかったこともある。

鳥取県立第一中学校(現・鳥取西高校)、
神奈川県立第二中学校(現・小田原高校)
神奈川県立第四中学校(現・横須賀高校)の校長を歴任している。

また、有名なところでは、
日露戦争の、二百三高地の激戦で有名な、
乃木希典と親交があったということ。

元々、乃木家と吉田家は縁戚であったからというが、
乃木の有名な詩である「金州城下作」

  山川草木轉荒涼
  十里風腥新戰場
  征馬不前人不語
  金州城外立斜陽

   山川草木(さんせんそうもく)轉(うたた)荒涼、
   十里、風腥(なまぐさ)し、新戰場。
   征馬(せいば)前(すす)まず、人語らず、
   金州城外、斜陽に立つ。

は、吉田に宛てて送った葉書に記されていた、
ということで知られていたりするのだ。
たしか、乃木の詩句を、添削していたはず。

その吉田庫三の遺稿集『梅城遺稿』を、
資料委員会として入手したので、
読んでほしい、と託されたというわけだ。

古本サイトなどで調べてみても、
あまり出てこない本でもあり、
これは面白いかも。

少しは力になれるよう、
がんばりませう。





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最終更新日  2012.02.13 10:06:50
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