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遊心六中記

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2020.10.14
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カテゴリ:探訪
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今回は、山科から渋谷越への旧渋谷街道を歩き、京に入り現五条大橋まで歩いてみました。そのご紹介です。
この景色は、旧東海道(旧三条通)と外環状線の交差点、南西角から山科駅のある北の景色を撮りました。ここを起点に渋谷越に向かいます。
  
道路の南側には、「旧三条通り」の掲示があり、北側のビルの傍に「旧東海道」の道標が設置されています。
 「明治天皇御遺跡」碑
旧東海道を少し歩むと、このビルの西橋付近にこの石碑があります。なぜここが遺跡になるのか。
説明銘板が設置されていますが少し不鮮明ですので、転記します。
「この石碑は、明治元年9月明治天皇御東幸の際、同2年3月の御還幸及び、同11年10月の御還幸の3回に亘って、古く戦国時代より東海道の茶店、宿場又本陣として洛東山科の名刹 毘沙門堂御領地内にあった「奴茶屋」(現RACTO・A2階)に御駐輦されたことを記念して建立されたものである。」

この説明によれば旧東海道のそばまで毘沙門堂の領地が広がっていたことになります。
毘沙門堂はJR山科駅の北側を山手に上がって行ったところですので、かつてはかなり広大な領域だったことがわかります。
また、「奴茶屋は,片岡丑兵衛という勇猛な弓の達人が,街道に出没した盗賊を討ち取り,文安4(1447)年,茶店を建てて旅人を送迎したことにはじまると伝える」(資料1)とのことです。

 
旧三条通をさらに進むと、寺号標石「吉祥山安祥寺」が北への道の西側に見えます。
安祥寺への道標を兼ねているのでしょう。
下流側  上流側
その傍を安祥寺川が北から南に流れています。橋を渡って西へ。
 
     道路南側の地蔵堂

 
北側には「当麻寺」の表門と築地塀が見えます。
弘誓山と号し、永観堂禅林寺を本山とする浄土宗西山禅林寺派の寺院です。(駒札より)
 
門から境内を眺めると、西側に当面する本堂が見え、正面には大きい石造観音菩薩立像が建立されています。手前の献花台の正面に「やすらぎ観音」と記されています。
 
 
 
                            道路脇に駒札が設置されています。

  
当麻寺の少し西に五条別れの道標が立っています。南に向かう道路との南西角に立っていますので、進行方向を意味する「右ハ 三条通」と刻されています。宝永4年(1707)丁亥11月に建立された道標です。
 
南へ向かう道について、「左ハ五条橋」その下に、「ひがし にし 六条大仏」「今ぐまきよ水」と並べて刻され、一番下に「」と刻されています。(資料2)
 この道を少し南下します。
 
現三条通の「五条別れ」の交差点に出ます。この景色は東方向の眺めです。
 下ってきた道の北東角に立つ石標「山階寺跡
このあたりは「山階寺跡推定地」だそうです。
 
藤原鎌足ゆかりの地だそうです。山階寺は奈良の興福寺の淵源の寺にあたると言います。
  
道路の東側は京都薬科大学の建物が通り沿いに建っています。北西角には「美須大明神」と刻された神名碑が祀ってあります。以前に山階寺跡碑を探訪に来たときには、気づきませんでした。
 交差点を横断し、南に入ります。
  
最初の辻の南西角は駐車場になっているようです。角のフェンスの内側に道標がありますが、文面が十分に判読できません。
ここで、右折して南西方向に進む道に入ります。この道が厨子奥と称される地域を通る旧渋谷街道です。
 
       
道路の南側に、真宗大谷派の「光久寺」があります。「花園山」と号する寺院です。
  
道沿いの民家の前庭にお地蔵さま(と思います)が祀ってあります。
 
少し先、南側に奥まってお堂、道路傍に地蔵堂があります。
 
手前の道路傍に「木造毘沙門天立像」についての駒札が立っています。
このお堂に祀られている仏像なのでしょう。かつては、山科厨子奥村の総鎮守として永正寺(廃寺)に安置されていた仏像だそうです。(駒札より)
 
地蔵堂には、石造地蔵菩薩立像が祀られています。和やかな容貌のお地蔵さまです。
  
その先にも小さな地蔵堂があります。格子扉から拝見すると4体の石仏が安置されています。
  
右奥の石仏は、よく見ると一石に三体の像がレリーフされているように思えます。
目の錯覚でしょうか・・・・・。
 厨子奥の中央部辺りを通り過ぎます。
 道路沿いの北側にある厨子奥児童公園
 
公園の先に、4体の石仏を並べて安置し、覆屋が設けられています。
左側の建物には「山科区厨子奥矢倉町」の住所表示板が柱に取り付けてあります。
 

 
 
           
道路沿いに地蔵堂がいくつもあります。複数体の石仏が安置されているケースがほとんどというのもめずらしい印象を受けました。

 
そして、その先で​厨子奥を通過する旧道が現在の渋谷街道に合流​します。
この景色は現渋谷街道に入り、南西側から分岐点を眺めた景色です。
向かって左側が厨子奥の地域を通る旧街道で、右側が現在の渋谷街道です。
  
合流地点の傍を、旧安祥寺川が北から南に流れていて、「新八幡田橋」が架かっています。
 橋の西詰南側から北を眺めた景色です。

ここからは、現在の渋谷街道を山科側から京に入って行くことになります。

つづく

参照資料
1) ​明治天皇御遺跡​   :「フィールド・ミュージアム京都」
2) ​三条通/五条橋【道標】​ :「フィールド・ミュージアム京都」

補遺
山科 地名物語(12) 厨子奥​  鏡山次郎氏
山科家礼記5、巻4​  厨子奥の記述がある文書

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Last updated  2020.10.17 21:33:13
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