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カテゴリ:観照 & 探訪
朝霧橋傍の源氏物語宇治十帖石像を眺めた後、宇治川右岸(東岸)を上流方向に進みます。 まずは「興聖寺」を目指します。右岸は観流橋までの道路が府道247号線になっています。 宇治神社の鳥居から少し先に、山側に「福寿園宇治茶工房」があります。道路に面して見えるのはこの萱葺き屋根の建物です。 道路に面した枝折り戸 この景色の石垣側、福寿園宇治茶工房の隣りに「朝日焼工房」があります。 朝日山の麓に位置する宇治の窯元です。 塔の島を眺めた景色 道路に面して、少し高みに休憩所が設けてあります。宇治川を眺めながらの一休みもいいかと。 道路脇には、傍に「田中順二先生の歌碑」と刻した石標が立っています。 何釣ると 言へば もろこといふ子らに 宇治塔ノ島 日ハまだ暮れず 順二 田中順二(1912~1997)は国文学者で、「ハハキギ」の同人となり、創立者の没後、発行責任者となった歌人だそうです。(資料1) 関西電力宇治発電所の放水路から宇治川に合流する流水は観流橋のところで、常に波立っています。川の中程に小岩が点在し、水鳥たちがとまっていました。 アオサギとカルガモかな? シラサギ 観流橋を渡り、振り返った景色。遠くに見えるのは朝霧橋。 橋を渡ると、山側の放水路傍に宇治発電所の「工事竣功記念碑」が建立されています。(資料2) 明治41年12月に工事に着手、大正2年(1913)6月に竣工と記されています。当時は宇治川電気株式会社と称したようです。記念碑の側面と裏面には、工事にたずさわった人々100名以上の名前が刻されているそうです。私は未確認です。機会があれば裏面を確認してみようと思います。 観流橋の先に進めば、山門が見えてきます。 手前に「興聖寺」の寺号碑が立っています。 門の左側柱には、「仏徳山観音導利院興聖宝林禅寺□□」(末尾二文字判読できず)と記された木札がかけてあります。お寺の背後の山は大吉山(仏徳山、標高131.8m)です。 道元禅師は宋から帰国後、伏見の深草に興聖寺を開創されました。江戸時代、1645年に淀城主永井尚政が、万安英種禅師を中興開山に請じて、宇治に興聖寺を再興したと言います。(資料3) 門を潜り、坂道の参道を上りながら少時、紅葉狩を楽しみました。 振り返ると・・・ 参道の両側は結構な高さがあります。 参道を上りきった辺りで振り返って 参道の正面にはこの龍宮門があります。興聖寺の伽藍を囲む築地塀に設けられた表門です。 興聖寺の伽藍等は以前に拝見していますので、今回は紅葉狩としてこの龍宮門までにとどめました。 龍宮門前の左方向には、「茶筅塚」が設けてあり、傍に石造層塔が建てられています。 茶筅の供養塔。宇治らしい・・・・。 茶筅塚の前から龍宮門側を眺めた景色 このあたりで後は、参道を引き返します。 山門の景色を再度眺めて、観流橋を経て、宇治神社に向かいます。 つづく 参照資料 1) 田中順二 :「コトバンク」 2) 関西電力 宇治発電所 :「京都の産業遺産」 3) 興聖寺について :「興聖寺」 補遺 福寿園「宇治茶工房」 ;「福寿園宇治工房」 朝日焼 ホームページ 興聖寺 ホームページ 大吉山(仏徳山) :「京都宇治土産.com」 大吉山(仏徳山) :「YAMAP」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 探訪&観照 宇治市 再び折居台を越えて紅葉狩 -1 折居台~源氏物語モニュメント へ 探訪&観照 宇治市 再び折居台を越えて紅葉狩 -3 観流橋から宇治神社 へ 探訪&観照 宇治市 再び折居台を越えて紅葉狩 -4 さわらびの道・宇治上神社 へ 探訪&観照 宇治市 再び折居台を越えて紅葉狩 -5 源氏物語ミュージアムと周辺 へ こちらも御覧いただけるとうれしいです。 スポット探訪 [再録] 宇治 興聖寺細見 -1 3回のシリーズでご紹介 観照 [再録] 観桜 -10 宇治川の畔 朝霧橋、浮舟像、興聖寺、朝日山と仏徳山&平等院 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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