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遊心六中記

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2023.11.29
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カテゴリ:観照 & 探訪

これは今回の特別展「生誕270年 長沢芦雪」のPRチラシです。
チケットを事前に購入申込みして入手した際に、チケットに折りたたんで同封されてきました。
折り目が入っていて、ちょっと見苦しいですが、ご理解ください。
二つ折りのA4サイズです。広げたA3の見開きページに、展示作品を掲載し展覧会の案内が記されています。掲載写真を後ほど一部引用します。

芝生広場のオブジェを見た後、大阪中之島美術館の館内に入りました。


初回の「外観と芝生広場」をまとめた後で気づいたことがあります。
補足と訂正をまずお伝えします。 (初回の記事には訂正について補足しました)
歩道から階段が目に入りそこを上ったところが、芝生広場だったので、「高い丘状の地形」と錯覚して思い込んでしまいました。この芝生広場のあるところは、実は2階のフロアー外延でした。道路面では階段を見ただけで上がって行ったための錯覚です。
(まとめているとき、こんな場所に丘状の地形があったかなという疑念はほんのわずかあったのですが・・・・思考停止。思い込みは恐ろしい。)
2階以上の建物部分のキュービックなフオルムと広場の景色が目に飛び込んだ次第です
2階以上の外観を眺めていたことになります。
堂島川沿いの道路面と同じレベルに1階部分があることを、ホームページの画像を見直して気づきました。
次回、訪れた時は、1階も探訪してきます。


芝生広場からは、2階のフロアーに入ります
入口の近くで、ミュージアムショップが目にとまりましたが、そこはスルーして、チケットカウンターの方に向かいます。チケットを見せると、4階に上がって下さいという案内を受けてエスカレータに乗り込みます。

縦長のバナーが壁面に吊されています。​5階では「光 LIGHT テート美術館」展​が開催中でした。

 

4階の特別展入口。この特別展は、大阪初の回顧展開催になるそうです。

                   チケットの半券
                  PRチラシとチケットのデザインは基本的に同じです。

ここに載る「牛図」(鐵齋堂蔵)は後期展示の作品です。後述する第3章の最後の展示作品で、こ近くが展示会場からの出口になっていました。
牛の眼球の色合いがとても素敵な絵です。

長沢芦雪(1754~1799)は、伊藤若冲(1716~1800)や曽我簫白(1730~1781)と同じ「奇想の画家」の系譜の一人と見られています。円山応挙の高弟として江戸時代中期に京都で活躍しました。後に大坂で客死しました。その死因は謎だそうです。

辻惟雄(ツジノブオ)著『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫)は6人の絵師-岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我簫白、長沢芦雪、歌川国芳-を取り上げています。その中で、長沢芦雪が取り上げられています。
長沢芦雪を奇想の画家として論じた本の嚆矢となるそうです。

私がたぶん初めて長沢芦雪の絵を見たのは、京都文化博物館開館10周年特別展「京の絵師は百花繚乱」(平成10年/1998年10月)です。手許にその図録があります。
この時、長沢芦雪の作品2点が展示されていました。後で触れたいと思います。

 

これは長沢芦雪展を鑑賞後に、出口傍のショッピング・コーナーで購入した図録です。
奇想の画家に照応させるためか、表紙は奇抜にもピンク色。
この図柄は何だろうと思ったのですが、じっと見ていて、ふと芦雪が描いた虎図の一つから、虎の体毛の部分を拡大して意匠にしているのではないかと想像しました。一本一本線描していることがわかります。

PRチラシとチケットには、龍と虎の頭部が部分図として使われています。これはチラシの見開きページでも取り上げられていますが、和歌山 無量寺・串本応挙芦雪館蔵の「龍図襖」と「虎図襖」からの部分図です。これら作品は前期展示でしたので、見られませんでした。
代わりに、後期展示では島根 西光寺蔵の「龍図襖」を見ました。襖4面に一頭の龍が描かれています。今回、描き方の手法が異なる龍図襖が二種展示されていました。合計8面の襖が一列に並んでいるのです。やはり壮観な感じです。まさに奇想を感じさせる襖絵です。

そのうちの一つは、補遺に上げたNHKの「長沢芦雪の襖絵巡礼」に紹介されています。和歌山県 無量寺の「龍図襖」「虎図襖」も見ることができます。一見、お薦めです。

展示室の冒頭に、「長沢芦雪像」(和歌山・草堂寺蔵)が掲げてあります。
その後の展示会場は、4章構成になっていました。順次、感想を交えて一部ご紹介します。

<第1章 円山応挙に学ぶ>

円山応挙筆「牡丹孔雀図」と芦雪筆「牡丹孔雀図」が並べて展示されていました。
また、芦雪筆の「虞美人図」(東京国立博物館蔵)、「花鳥図」(個人蔵)、「虎図」(オオタファインアーツ蔵)は応挙の高弟らしい写実的な絵ですが、紙本墨画の「拾得図」(個人蔵)になると奇想への傾きがうかがえる気がします。この絵は、指頭画という技法で描かれているとか。
「笹に雀・雪に兎図屏風」(個人蔵)は、白兎の目にちょっととぼけた感の印象を抱き、面白かったです。
 「梅花双狗図」(個人蔵)
今回の特別展では、狗、兎、鳥、猿など愛しき動物たちの絵が数多く展示されていました。特に私は動物たちの目の描き方に関心をいだきました。実にかわいい目なのです。
この白い小狗の目もそうです。

芦雪は淀藩士上杉和左衛門の子として生まれました。淀藩に仕えた下級武士でしたが、京に出て円山応挙に学び、応門十哲に数えられる高弟の一人になります。天明2年(1782)29歳の時には、同年版行の『平安人物誌』の画家の項に、応挙がトップで、芦雪は19位に芦雪の名が載るようになっています。この時、芦雪は御幸町御池下ルに住んでいると明記されています。
芦雪は若くして師応挙の枠にとどまらない奔放な作風を確立し、円山派の中で異色の画家になって行きます。

<第2章 紀南での揮毫>

天明6年(1786)から翌年2月にかけ、芦雪は紀南地方(現和歌山県南部)に滞在します。
「南紀串本にある無量寺の層愚海が、かねてから親しかった応挙を訪ねて、無量寺など、南紀にある東福寺系の一派の寺に襖絵を揮毫するように依頼した」(『奇想の系譜』より)そうです。応挙には都合がつかず、芦雪が師の代役として出向き、襖絵や屏風絵を数多く描く機会を得たのです。大胆な構図や自由奔放な筆遣いによる作品、現在において注目される作品群を残すことになりました。

このセクションで、前期の鑑賞なら無量寺の「龍図襖」(重文)、、「虎図襖」(重文)を鑑賞できたのですがそれを逃してしまうことになりました。

このセクションでおもしろいと思ったのは、「酔李白図」と「酔李白・山水・滝図」(三幅のセット)です。いずれも個人蔵。展示室では少し離れた位置に展示してありました。酔李白の構図のベースが同じなのです。手の動きや表情にわずかの差異が加えられている程度なのです。芦雪もまた、同じ構図の絵をいくつも描いているんだなと感じた次第です。
 「蛸図」(個人蔵)
これは即興で描いた作品と考えられているようです。

「龍・仙人図」(和歌山・草堂寺蔵)や「鍾馗・蝦蟇図」(個人蔵)という掛幅が対になった作品には、芦雪の奇想の側面が発揮されている墨画作品です。
これらも目の描写に惹かれます。仙人と鍾馗の描写法がかなり異なるところも芦雪の力量の幅の広さを感じさせます。鍾馗と対に描かれた蝦蟇が巨大なのもおもしろいところ。

<3章 より新しく、より自由に>

「月竹図」(個人蔵)は実に自由な発想に基づく作品でした。
幅11.3cm、長さ155.8cmという極細で長い絹地に、竹と月を描くという大胆かつ自由な試みです。用意周到な墨画なのか、はたまた即興的なひらめきによる絵なのか・・・・これも奇想の一種でしょう。

 
PRチラシに使われている部分図です。「仔狗図屏風」(江戸千家 川上宗雪氏蔵)の左半分で、右半分には仔狗が二匹描かれています。二曲一隻の風炉先屏風で、紙本墨画淡彩の作品。
狗の姿態が様々で、目の表情が楽しいのです。
 「降雪狗児図」(逸翁美術館蔵) 
このあどけなさを感じさせる狗の表情がいい!

8面に描かれた「松虎図襖」(奈良・薬師寺蔵)は虎の尻尾が極端なほど長く描かれているます。溌剌と自由に描いている感じを受け、印象に残っています。
併せて薬師寺蔵の「松鶴戸杉戸」が出展されていました。こちらは、写実的な絵です。
芦雪はTPOに併せて、描法を使い分けていたのかもしれません。

円山四条派合作「亀図屏風」もおもしろい試みです。各絵師が屏風に亀を一匹ずつ描いているのです。図録の図で数えて見ますと13匹描かれています。二匹描いている絵師もいるようです。描かれた亀はそれぞれに微妙に違いがある感じです。絵師の個性と力量が出ているのでしょう。
円山四条派の絵師を研究している人には、特に興味深い屏風絵かもしれません。

 
                 「群猿図」(重文、兵庫・大乗寺蔵)
襖11面のうち9面が出展されていて、その9面に猿の群が自由に行動している姿が描かれています。上掲のPRチラシに掲載の図は、左端の襖一面をはずしてそれに続く4面を撮った図です。
この「群猿図」は、寛政7年(1795)の作。

上掲の4面での「群猿図」を、私は京都文化博物館の「京の絵師は百花繚乱」展で鑑賞していました。
図録を確認しました。なんと25年ぶりに再見したことになります。それも9面に広がった構図という本来の形で・・・・。

これ郡猿がPRチラシの下辺に部分的に使用されています。
 
この箇所です。該当箇所を切り出して、文字等を画像処理で消去しています。
 
           
        猿の動きと表情がおもしろい!

「京の絵師は百花繚乱」展での展示作品のもう一点は、「月夜山水図」(重文)という掛幅でした。この作品もこの第3章にて展示されていました。こちらも再見できたという次第です。25年前は、兵庫・頴川美術館蔵でした。今回の図録を見ますと、兵庫県立美術館(頴川コレクション)蔵となっています。

<第4章 同時代の天才画家たち>

ここでは、伊藤若冲と曽我簫白の二人の作品展示されていました。長沢芦雪よりも早く京都で活躍していた画家たちです。そして、上記の辻惟雄氏が「奇想の系譜」と論じた系譜に連なる画家たちです。
 
        
PRチラシに使われた伊藤若冲作「象と鯨図屏風」(MIHO MUSEUM蔵)が展示されていました。紙本墨画、六曲一双。寛政9年(1797)作。

曽我簫白の作品は、「虎渓三笑図」(千葉市美術館蔵)でした。

これらの画家たちが併存し活躍したということは、江戸時代中期に文化的・精神的な次元において、大きな変化を求める気運が生まれていたということでしょうか。

長沢芦雪という絵師の魅力の再発見、見直しが始まっているようです。

 
      
4階のオープン・スペースには、こんな来館記念撮影スポットが設けてありました。

展示会場の外エリアは撮影自由とのことですので、この後美術館内部を少し探訪してみました。

つづく

補遺
大阪中之島美術館​  ホームページ
長沢芦雪​   :ウィキペディア
串本応挙芦雪館​  串本無量寺 ホームページ
    ​長沢芦雪について
長沢芦雪の襖絵巡礼​  :「NHK」
曾我簫白「虎渓三笑図」​:「千葉市美術館」
「奇想の画家」長沢芦雪が南紀でみせた目醒めの足跡​ :「わかやま歴史物語100」
円山応挙の高弟・長沢芦雪の代表作と人生まとめ。皮肉屋で悪評が絶えなかったって本当?​   :「和楽web」
丹青三昧 駆け抜けた絵師 長沢芦雪​  by morinousagisan :「ART Age ndA」
長沢芦雪は殺された!?他殺説・自殺説を追う​   :「ARTISTISAN」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

​​観照&探訪 大阪中之島美術館・特別展「生誕270年 長沢芦雪」-1 外観と芝生広場 へ​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​観照&探訪 大阪中之島美術館・特別展「生誕270年 長沢芦雪」-3 館内探訪 へ







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Last updated  2023.11.30 15:19:31
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