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カテゴリ:観照
「パカル王とみられる男性頭像(複製)」 漆喰 高さ40.8cm、幅20.6cm 原品 マヤ文明 620~683年頃 <Ⅲ-4 パカル王と赤の女王 パレンケの黄金時代>のセクションの最初にこの複製頭像が展示されています。 原品はパレンケの「碑文の神殿」のパカル王墓内で見つかったそうです。 会場に掲示されたパレンケの神殿配置図では、右に縦に2つ並ぶ建造物写真の上段が「碑文の神殿(パカル王墓)」です。実線をを辿ると位置がわかります。 パレンケの最盛期は615~683年のキニチ・ハナーブ・パカル王の治世だそうです。 「ジバンチェの侵攻により荒廃したパレンケの王位に12歳でついたパカルが、活発な建築活動にとりかかり、戦争と外交により周辺都市への影響力を取り戻すのは40代以降のことである。王宮の拡大に多くの労力を注ぎ、マヤ地域で最も壮麗な建造物の一つにした」(図録の解説文転記) パカル王は、マヤ人としては高齢の80歳で亡くなったと言います。 「96文字の石板」 石灰岩 高さ59cm、幅135cm マヤ文明 783年 783年にキニチ・クック・バフラムの即位20周年を記念して彫られたものだそうです。 この碑文の模写図が掲示してあります。 「パレンケ王朝系譜」のパネルが掲示されています。 中央の左の頭像がパカル王、右のマスクが赤の女王。バフラム王は系譜図の最下端です。 「デュペの石板」 石灰岩 高さ41.8cm、幅27.7cm マヤ文明 654年頃 パレンケの王宮南部の「地下の建物」の完成を記録した石板で6つの石板の一つ。 18世紀半ばにパレンケが発見された後、初期の探検家ギジェルモ・デュペが1807年に持ち帰ったことで、この名があると言います。 「葉の十字の神殿の南わき柱」 石灰岩 高さ174cm、幅34cm マヤ文明 692年 「キニチ・カン・バフラムは、父の王墓である碑文の神殿ほか、パレンケの守護神を祀る十字グループと呼ばれる神殿群を築いた。本石彫はそのひとつ、葉の十字の神殿内、祠入り口のわき柱を飾った」(傍に掲示の説明文転記) 「太陽の神殿の北の石板」 石灰岩 高さ123cm、幅90cm マヤ文明 692年 「太陽の神殿の祠にあった石板。中央の戦士はパカル王の息子キニチ・カン・バフラムとする説が強い。テオティワカンの嵐の神を表す胸のペンダントなど壮麗な装いは、トニナに勝利した祝いの祭礼における姿と考えられる」(傍に掲示の説明文転記) 「香炉台」 土器、彩色 高さ53cm、幅45cm マヤ文明 680~800年 土器の香炉台はパレンケ特有のもので、キニチ・カン・バフラムの代に作られるようになったそうです。 「マヤの儀式では、コーバルという木の樹脂から作られた香がさかんに焚かれたが、そのための石や土器で作られた香炉が、神殿や住居の内部やまわりに置かれた」(図録の解説転記) 香炉自体が神を表し、この香炉台の人の顔はキニチ・カン・バフラムかもしれないとか。 「香炉台」 土器、彩色 高さ81cm、幅41.5cm マヤ文明 680~800年 夜間に地下界に入った太陽の神が描かれていると考えられています。 「香炉台」 土器、彩色 高さ72cm、幅46cm マヤ文明 680~800年 こちらは、マヤ神話において重要な役割をもつ鳥の神と考えられるそうです。 「キニチ・アフカルを表す文字」 漆喰 高さ13cm、幅15.5cm マヤ文明 722~742年 西暦722年に即位したキニチ・アフカル・モ・ナフブの王名の前半部を示すそうです。 ナフブ王はトニナに対して劣勢となったパレンケの栄華を取り戻すために、十字グループと称される神殿群の南に、新たに神殿群を造営したそうです。 「漆喰彫刻」 漆喰 高さ13cm、幅16cm マヤ文明 734年 「キニチ・アフカル・モ・ナフブが造営した19号神殿の漆喰彫刻。マヤ神話のトウモロコシ神の子である英雄、フーン・アガウとみられる」(傍に掲示の説明文転記) この特別展のハイライトの一つは「レイナ・ロハ」の発見です。 レイナ・ロハとは「赤の女王」という意味で、パカル王の妻、イシュ・ツァクブ・アハウ王妃と推定されています。 赤の女王の展示室に行く前に、スクリーンの映像でのプレゼンテーションがあります。 その一つがこれ。「碑文の神殿(パカル王墓)」の西隣りに「13号神殿」があります。 王と王妃は隣り合う神殿に埋葬されたのです。 1994年始めに13号神殿の考古学調査が実施されました。一枚岩の石棺の発掘調査で、深紅の辰砂(水銀朱)に覆われ、多くの装飾品を身に着けた女性の遺体が発見されたのです。遺体が辰砂で覆われていたことから、「赤の女王」と呼ばれるようになりました。 状況証拠から、パカル王の王妃と考えられています。 そして、遺体に伴う副葬品の研究が進展し、この頭飾りに至るまでの復元が試みられました。 図録のカバー表紙の一つに使われているのが復元された「赤の女王のマスク」「赤の女王の冠」「赤の女王の首飾り」です。 「赤の女王」展示室に進みましょう。 赤の女王の墓室を模したした展示空間が演出されていましす。 展示室の中央に設置されたガラスケースに石棺内部の当初の状態が復元されています。 赤の女王の足元と両側面の三方向から展示品を眺めることができました。 人骨等の研究から復元された赤の女王の生前の顔が頭部側に描かれいます。 「頭飾り」 ヒスイ輝石岩、貝、石灰岩 高さ19cm、幅15cm 「冠」 ヒスイ輝石岩 直径25cm 「マスク」 孔雀石、ヒスイ輝石岩、黒曜石 高さ20cm、幅14cm 「首飾り」 玉髄 長さ25cm 「胸飾り」 ヒスイ輝石岩 高さ36cm、幅46cm 左肩の傍に「貝」が置かれ、その中に「小像」が見えます。 「貝」 ウミギクガイの一種であるスポンディルス貝 「小像」石灰岩 高さ6cm、幅2.3cm 貝は、「原初の世界を想起させるものとして供えられたと考えられ、小像は、肉体が滅びた後でも女王の姿がわかるように、生前の姿をとどめおくためのものであったと思われる」(図録の説明より転記) 「小マスク」 緑玉髄、貝、黒曜石 高さ12.5cm、幅8.4cm 左手の指先より少し下方に「小マスク」が置かれています。 これは、腰のあたりに置かれた手斧の形をした石灰岩製の3枚の板の「ベルト飾り」とこの「小マスク」を合わせて、「ベルト」を構成するものと考えられています。 左手の横に置くことにしたのには何らかの理由があったのでしょうね。 石灰岩のベルト飾りは、各、高さ17.5cm、幅6.1cm。 「腕飾り」 緑色岩 各 高さ14.5cm、幅12cm これは右手の腕飾りを撮りました。左手にも同様に腕飾りを着けています。 部分図を撮り忘れたのがあります。 左手の臂辺りに「針」が置かれています。 緑色岩 長さ11cm 「針は織り手をつかさどる神とつながりがあり、生殖力、若さ、健康を表すとされる。これらを赤の女王は来世で手に入れたいと願ったのかもしれない」(図録の解説転記) 両足には「足首飾り」が着けられています。 ヒスイ 各直径1.5cm 特別展のPRチラシに載る「赤の女王」です。 マヤ文明の最後の展示、<Ⅲ-5 チチェン・イツァ マヤ北部の国際都市>に進みます。 つづく 参照資料 *特別展会場に掲示のパネルや説明文 *図録「特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティカワン」2023 補遺 パレンケ :ウィキペディア PALENQUE :「マヤ遺跡探訪」 古代都市パレンケと国立公園 :「世界遺産オンラインガイド」 Tomb of the Re Queen From Wikippedia, the free wncyclopedia The Red Queeen and Her Disters: Womenof Powerin Golden Kingdoms :「THE MET」 Mystery Queen in the Maya Tomb :「NATIONAL GEOGRAPHIC」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -1 いざない へ 観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -2 テオティワカン(1) へ 観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -3 テオティワカン(2) へ 観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -4 マヤ (1) へ 観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -5 マヤ (2) へ 観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -7 マヤ(4) & アステカ(1)へ 観照 大阪・国立国際美術館 特別展「古代メキシコ」 -8 アステカ(2)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.04.27 16:25:10
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