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遊心六中記

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2024.05.16
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カテゴリ:観照 & 探訪
 
                  
「元林院町絵屋橋跡」から、一直線に西へ抜ける道はなく、ジグザグを繰り返しながらJR奈良駅方向をめざしました。途中で、市道六条奈良坂線という南北の幹線道路に出ました。
道路の西側に見えたのが冒頭の「率川(イサガワ)神社」の門柱と社号石標、朱塗りの両部鳥居です。

今まで奈良国立博物館への往還は、ほぼ三条通を経由するだけでした。
改めて地図で確認しますと、三条通の「上三条」交差点から、徒歩数分の距離です。
普段と違う道を歩いて、初めて神社に出会い、その存在を知ることになった次第です。
この市道は、上三条交差点から北方向は「やすらぎの道」という愛称が付いています。
地図にもその名称が記されています。(資料1)



0053
境内に入ると、すぐ右側、道路に面した石柵の内側の歌碑が目に止まりました。
私には判読できませんでしたので、ネット検索してみて、
  葉根蘰(はねかづら) 今為(す)る妹を うら若み 
     いざ率川(いざかわ)の 音の清(さや)けさ
という歌とわかりました。(資料2)

 
朱塗りの鳥居と瑞垣が見え、南面する形で境内社が並んでいます。
 

まず境内社を拝見
 
中央は、摂社「率川阿波神社」祭神は事代主神(コトシロヌシノカミ)です。
事代主神は大物主大神の御子神です。奈良市最古のえびすさんだそうです。
「社伝によると宝亀2年(771)藤原是公が夢のお告げにより阿波國より勧請したと伝えられています」とのこと。(駒札より)

 
向かって右側は、末社「春日社」祭神は武甕槌命(タケミカツチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメカミ)で、春日大社の神四柱です。

 
左側には末社「住吉社」祭神は上筒之男命(ウワツツノオノミコト)、中筒之男命(ナカツツノオノミコト)、底筒之男命(ソコツツノオノミコト)、気長帯比売命(オキタラナガシヒメノミコト、神功皇后)の四柱です。
社名の通り、大阪・墨江(住吉)に鎮る神と同神が祀られています。



 
         この横長の建物が拝殿のようです。

               
 
拝殿の両側面から、何とか本殿が部分的に見えます。

後に掲げる駒札の説明からわかることを箇条書にまとめてみます。
*率川神社は正式には「率川坐大神御子神(イサガワニイマスオオミワミコ)    神社」と称すること。
*桜井市にある大神(オオミワ)神社の摂社であること。
*推古天皇元年(593)大三輪君白堤(オオミワノキミシラツツミ)が勅命によって創祀した奈良市最古
 の神社であること。 ⇒平城京遷都(710年)より遙か昔の創祀を意味します
本殿は、一間社春日造・檜皮葺で同規模の建物三棟を横並びに配置してあること。
*祭神は、向かって
  右殿 玉櫛姫命(タマクシヒメノミコト)        御母神
  中殿 媛蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト) 御子神
  左殿 狭井大神(サイノオオカミ)          御父神
*この三柱の鎮座の形から、「子守明神」と称されていること。
 安産・育児・息災延命の神として篤い信仰を集めているそうです。
 当神社の所在地は「本子守町」。「子守明神」と称される由来からか・・・・?
*現在の本殿は、江戸時代初めの建立と考えられること。
*当社の例祭は「三枝祭(サイクサノマツリ)」と称され、6月17日。境内社三社も同日の例祭。
 笹百合(古名 さいくさ)の花で白酒(シロキ)、黒酒(クロキ)の酒樽を飾ってのお祭り(ゆりまつり)

 


日本史の年表をみますと、645年が大化の改新です。それ以前の飛鳥時代、桜井市の三輪で大物主大神を祀る人々の集団が、この率川神社あたりまでを勢力圏にしていた時期があるのかと想像すると古代へのロマンが広がります。実際はどのような勢力分布だったのでしょう・・・・・。

 本殿の西に、東面する社務所があります。

 
            境内の南西側にある手水舎
  
水の注ぎ口が花のようです。笹百合の花を象っているのでしょうか。

  
             
拝殿の南に、本社大神神社遙拝所が設けてあります。
桜井市三輪に位置する大神神社の方向になるのでしょう。

 
遙拝所の西側に、この「蛙石」が置かれています。
この石の形状から「カエル石」と称されています。言われてみれば・・・ナルホド!
 そばに立つ駒札
*蛙は繁殖力・命の再生・豊富・裕福のシンボルに。
*カエルのゴロの良さ!「お金がかえる」「幸せがかえる」「若かえる」「無事かえる」*「撫で蛙」とも呼ばれるようになっているそうです。 (駒札より)

 西側の門柱
境内の西側は、門柱に注連縄が渡されたシンプルな門です。

この後、この西門を出て、JR奈良駅をめざしました
結果的には、三条通から一筋南で東西を通貫する道路を西に進むことになりました。
三条通のJR奈良駅前交差点からは一つ南の交差点に帰着することになりました。

ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1. ​やすらぎの道​   :ウィキペディア
2. ​率川​  川の万葉集  :「奈良県」

補遺
率川神社​ ホームページ
率川(いさがわ)の名残り​  :「M. Yagi's Site」
ササユリ​  :ウィキペディア
三輪明神 大神神社​  ホームページ
  ​狭井神社​  境内マップ   ⇒三輪の神様の荒魂(アラミタマ)をまつる神社

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Last updated  2024.05.16 17:29:34
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