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遊心六中記

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2024.05.25
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カテゴリ:観照

5/22に久しぶりに三条に出ました。目的は京都文化博物館に行くためです。
冒頭の景色は三条大橋東詰の南側から撮りました。

三条大橋の通常の姿を眺めるのもまた久しぶりです。
橋のスッキリした姿を眺めることができます。平日の昼近く、人通りも比較的少ないので橋の記録として撮りました。


少しズームアップしてみました。欄干は白木のままです。すっきりしています。
今までの擬宝珠や金具が元のまま取り付けられたのでしょう。

橋の東詰、南側歩道と対岸を撮ってみました。

その後、まず北側に横断します。

北側の東詰に金属板製の駒札「三条大橋」が設置されています。

「この橋の架けられた年代については明らかでなく、室町前期には、すでにごく簡素な構造をもつ橋として鴨川に架けられていたものと推定されるが、本格的な橋となったのは天正18年(1590)で、豊臣秀吉の命により奉行増田長盛が大改造を行った。
 また擬宝珠は天正と昭和のものが混用されているが、その銘によると
 『洛陽三条の橋は後代に至るも往還の人を化度とせしむるもの也、盤石の礎は地に入ること五尋、切石柱は六十三本也(以下略・・・・)』とあり、
いかに大工事であったかをうかがわせる。
 かつてはここが東海道五十三次の西の起点にあたり、重要な交通上の要衝であった。
 以後たびたび流失したが、幕府が管理する公儀橋としてすぐ修復された。
 元禄以来、たびたびの改造を経てきたが、昭和25年の改造によって今の姿に改められた。
 現在の橋の長さは74m、幅15.5m。なお、橋の西詰北側には、高札場とされたところで、現在も天正年間の大改造の際に使用された石の柱が残されている。
                                                京都市    」(駒札全文転記)

  橋の北側、東詰より
                   
                                                                
 擬宝珠(北側)
  欄干に取り付けられた金具

                          上流側(北方向)の景色。御池大橋が見えます。


橋の北側歩道を歩みつつ、欄干を撮りました。

                           
                              北側歩道で振り返ってみた景色

                                         

北側、西詰の欄干柱と擬宝珠。保存されている天正期の橋の石柱


保存されている石柱の近くから、みそそぎ川を眺めた景色
川床が張り出して設けてあります。四条大橋から三条大橋にかけて、年中常設の川床もあれば、夏季だけに床を設置される箇所もあります。京の夏の風物詩の1つです。
もう1つ、この鴨川に関連しては、この鴨川側の岸にずらりと座り込む人々の列が連なる景色が夏には常態となって行きます。

ご覧いただきありがとうございます。


こちらもご覧いただけるとうれしいです。
観照 諸物細見 -4 京都・三条大橋 (1)
観照 諸物細見 -4 京都・三条大橋 (2)
観照 京都市  三条大橋 木製高欄(南側)の更新
観照 京都市  三条大橋 木製高欄(北側)の更新 (続)
観照 京都市 三条大橋 木製高欄の更新完了 (続々)





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Last updated  2024.05.25 23:45:25
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