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テーマ:いかりや長介氏 死去(154)
カテゴリ:ロック・ポップス一般
いかりやさんについて書くのはこれで3回目。しかたない、いろいろな思いが湧いてくるのだから。それにテレビでは連日、追悼特集である。昨晩、TBSの追悼番組で加藤茶も言っていたが、亡くなったという気がしない。いつでもブラウン管に戻ってきそうな感じもする。
さて最近になって改めて「ベーシスト・いかりや」に焦点が当てられているようである。遺族が遺影に使った写真もキリンラガーのCMでベースを弾いた時のもの。数年前にあのCMを初めて見た時、いかりや長介って、ミュージシャン(ベーシストとしても半端じゃないと思った。 いちおう私もベースを弾くのであるが(あくまでもいちおうです、ハイ)、とてもあそこまでは弾きこめないと思った。遺影に写った指の形にも注目してほしい。小指まで使ってコードを押さえているフォームが、とてもかっこいいと思った。俗に「いかりや奏法」と言われるベースの弾き方について、彼は自著『だめだこりゃ』で、以下のように触れられている。 私のベースについて、「日本で最初にチョッパーを始めたのはいかりやだ」という伝説があるらしい。最近も秋元康氏にそう訊ねられた。一般にベース奏者はギターでいうピックアップの部分の上部に親指を固定して、人差し指と中指で弦を弾く。 しかし、私はギター奏者のように、ウッドベースにもかかわらず親指を多用して弦を叩いたりして弾いていた。ギターを独学ではじめたときからの癖だ。それに、てのひらでのカットを入れたりすると、遠目にはチョッパー弾きのように見えたのだろう。今ではその親指奏法を指して「いかりや弾き」とか「長介弾き」と若い人がいっているようだ。(いかりや長介『だめだこりゃ』新潮文庫版,p. 47) もっとも親指を使ったベース奏法は、エレキベースが登場した1950年代においては、一般的な奏法だったらしい。当時の親指奏法は、アコギのフィンガーピッキングの親指のようにして弾く奏法。が、このような奏法はロック向きではないので、60年代半ばには人指し指と中指によるトゥー・フィンガープレイが主流になったとか。 いわば「いかりや奏法」とは、50年代のベースの指奏きのこと。彼がその時代にベースをマスターしたことを考慮すれば、きわめて自然なことでもあったわけだ。 そのいかりやさん、最後までドリフターズの活動にこだわったらしい。どうせなら音楽でソロアルバムを作ってほしかった。ビートルズの前座までやった方なのだから…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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