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2011年07月24日
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カテゴリ:心の中
先週の台風が過ぎ去った、翌日。



朝から外でカラスがカーカーと鳴いていた。

たまにあることだから、とあまり気にしないでいたものの、お昼になってもずっとカラスの声が聞こえる。

さすがに不思議に思って外に出てみると、空には数羽のカラス。

山の向こうを見ると、数羽どころか十羽以上ものカラスの群れが見えた。


何が起こっているのか、考えていると、獣の声がした。

狐だかなんだかわからないが、どこか悲しい声が聞こえた。

「昨日の台風で、獣が死んだんだろう」

父が言っていた。

あぁ、獣の死体にこぎつけてきたのか、とすぐ悟った。



これは自然の流れ上、当然のことだと思う。

食物連鎖の一環とでも言おうか、仰々しいことだとは思うが、そういうことだと思う。


当然のこと。

なのにそこにどこか詰まるものが、何か悲しいものを感じるのは、人間の感傷的な気持ちのためだろうか。

その気持ちのために獣を可愛いものとして、カラスを悪魔の使者としてみてしまうんだろうか。


世にある差別や偏見というのはこんな初歩的なところからも消せないことがわかってしまう。

たとえ考え直してその気持ちを消したところで、気持ちの根はしっかり残っている。

差別や偏見を意識した段階で、既にその芽は刈りきれない。




自然から学ぶことが多いと言って学ぶのはこんなものばかりなんだろうか。

だとしたらなぜこんなものばかりなのか。

それを探究したら、人間の住む世界と自然の世界との大きな隔たりに気づかずにはいられない。

つまり人間の世界と自然の世界はもうすっかり別物になり、別の価値観を育ててしまっているということなんだろう。

だとしたら人間が自然に対して語ることに不自然さや違和感を感じるのも無理はないのかもしれない。


人間の世界と自然の世界。

もう既に修復不可能な関係がそこにはあるように思えてくる。

もう人間が自然に対して口を出すのは、神に口出しすること同様、非常におこがましい行為になっているのではないだろうか。

「自然を相手にする」という言葉はこの時代にもはや死語になってしまったのかもしれない。





相変わらずまとまらない頭の中を整理しようと、ない時間をつかって奮闘するばかりです。

勉強だと思って、見逃してください 笑





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最終更新日  2011年07月24日 23時52分33秒
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