カテゴリ:独り言
恋人が卒業アルバムを見たがったので、中学校のものを引っ張り出した。
ものを手にとってみても、何かの感情や記憶が湧き上がることはなかった。 背表紙には「2008年 ○○中学校」と記載がある。 11年も前になってしまっていたのか。 写真を眺めても、私の顔は、あまり変わらないように思う。 入学時は幼顔だなと感じたが、卒業時にはもう今の私だった。 ただ、今のほうがきっと痩せこけている。 横で覗いていた恋人も同調した。 10年前の私が見たらどんな感覚を持つのだろう。 想定外、というべきか、記憶から丸ごと抜け落ちていたことに、なんと末尾にクラスのページと個々人の作文が載っていた。 たった1ページのクラスランキングと、4分の1ページの自分の文章で、10年来の時間が様々な味を持って込み上げてきた。 思わず冊子を閉じたくなるほどだった。 そうだ、私は当時の堆積した鬱屈を、すっかり解かしきらずに地層にしていた。 久々に掘り返した断面は、色を見るだけでも敗走を決めさせた。 私は12年このブログを続けて、一部を除いたほとんどの記事を残している。 ほとんどというのは、あまりに何か重いものに耐えかねた時、記事を消し始めたからだ。 ただその最中、面倒くささと、いつかの自分が見返すことを思った。 始めた頃より、自分からブログをやめることはないと決心していた。 だから暗黒の時代も黒歴史もすべて残して、いつかの自分に何かを思わせようとした。 今のところ、まだ振り返る度胸は湧いてきていない。 だが、いつか訪れる過去の自分との邂逅に、準備は必要なのかもしれない。 何処をめくっても、希望や夢という言葉が見つかった。 あれから11年経って、皆はその言葉について何を思うのだろう。 今が明るい日々だといいなと、写真を眺めながら思う。 84人に、暗黒の時間が流れていなければいいなと、思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
8年ぶり、で合っているのだろうか?
とてつもなくお久しぶりです。 過去の感傷に浸っていたのですが、そのおかげでまためぐり合う事もあるのですね ちょうど僕は自分の過去を掘り下げていたので驚きました 僕の場合は暗黒の時代と黒歴史が数多く、というかほとんどがそうだったのですが 今の自分が改めてそれを読んでいると 自分の感性は衰えているんだな実感しました。 口調がいわゆる中二病で恥ずかしく感じるのですが、もう考えもしなくなった事を色々思考していたり 不思議な言い回しを使っていたり 思い出す と 参考になる が同時に味わえると言えばよいのか、不思議な感覚になりました。 いつか振り返る時がくることを願って 突然の長文失礼しました!【いやでもブログってこういうもんだったよなあと懐かしんでます【笑 (2019年05月04日 02時44分51秒)
りゅうヽ(゜∀゜)ノさんへ
ご無沙汰しています。 コメント下さり、ありがとうございます。 私の記憶の片隅にも、このブログを通じて出合ったりゅうさんはひっそりいましたよ。 感性の「衰え」と書いてあるのは、当時のご自身を消極的にも肯定して下さっているようで、嬉しく思います。 私は、りゅうさんの文章を好んで読むことがあったので。 私もきっと、似た感覚でブログというものを思っているのだと思います。 また、過去に出会うことがあればコメントいただけると幸いです。 お元気で。 (2019年05月06日 21時11分06秒) |
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