屋上ブランコ
屋上、というものに漠然とした憧れがあった。よくメディアの舞台になるからかなと思ったが、振り返るとそんな意識の芽生えぬ保育園頃から、なにか羨望の眼差しを向けていた気がする。小学校に入って、学年があがって、いよいよ屋上が近づいた頃、鍵がかかって入れないことを知った。私の出た小学校は男子が9人。休み時間は全員でキックベースで、一人でも欠ければ「あいつはどうした?」となる。何かの事情で、一度行かない日があった。そこから何が私を吹っ切れさせたのだろうか。とたんに毎日急いで給食を食べ、走って外へ向かうのが阿呆のように思えた。私は毎日昼休みに校内を彷徨しはじめる。ガキ大将に絡まれ出した頃、屋上なら誰にも会わないだろうと考えた。いくら私がはみ出しものでも、屋上の鍵を盗んでこようとか、針金で開けようとか、そんなことは考えない。ただ屋上に繋がるドアの前に座った。2,3段しかない階段に足を放り出して、ドアに寄りかかって。絶対に誰にも邪魔されない空間という、それだけに喜びを得ていたと思う。実際、誰かに見つかったことは卒業までに一度たりともなかった。ある時は眠って、ある時は図書館の本を読んで、ある時は窓から山を眺めて。たくさんの一人の時間を、いつからか楽しんでいた。7,8年前に廃校になった後、一度だけ校舎に潜入したことがある。教室も職員室も図書室も保健室も見たけれど、やっぱり最後に屋上に向かった。一貫して私は、あの場所を素敵な思い出にできているらしい。研修先の施設に、屋上があった。屋上と言えるほどかわからないけれども、とにかく空間としては似ていた。喜んで、そこでお昼を食べて、本を読んで過ごした。途中でお弁当箱を持った人がきて、私と目が合って引き返していった。私以外にも価値を認める人に遭遇できて、私は嬉しかったと思う。同時に、小さく「ごめんなさい」と思った。