わたしは母が苦手だった③
母を祖母宅に預け、母と離れての生活が始まりました。私は、漠然と「これで心苦しさから解放される」と思っていました。ですが、母が心に植え付けてくれた置き土産は、わたしをどんどん不安にさせました。これまでずっと母の顔色を伺いながら生活していたわたしにとって主軸がいきなり消えたことで何をしたら良いか、どう動くのが正解かが全く分からなくなりました。父は「今までと変わらん。好きに遊べ。」と言いましたが、“好きなこと”が分かりませんでした。とにかく、常日頃から言われていた「勉強しなさい」という母の言葉を思い出しとりあえず教科書や本を開いて眺める日々が続きました。ある日、ふと自分の幼少期を思い出しました。両親が共働きだったので、小学校の後は学童に預けられました。また、父が何かスポーツをさせたかったようでバドミントンクラブに入っていました。思い返すと、どの環境下にもわたしの軸がいました。学童では2つ年上の気の強いYちゃん。彼女のやりたい遊びを彼女のやりたいようにやらないと急に怒り出し無視されました。機嫌が直ると急にベタベタ私の体を触って来ました。図書館で返却期限が過ぎた幽霊の図鑑を「もういらないからあげる!」と言って押し付けられました。中学年向けの少し絵柄がリアルなものだったので「怖いからいらない、、」と言うと顔色を変えてわたしの自転車のかごに投げ入れられました。また、家に遊びに行った際にはパンツの中に手が伸びてくることもあり、Yちゃんの肌も触るように指示されました。幼心に、本能で気持ち悪いと思いましたが、怒られるのが怖くて「断る」という選択ができませんでした。バドミントンクラブではダブルスを組んでいた大柄のMちゃん。体が大きい分メキメキ上達し、大人達は「Mちゃんを見習って練習せな。」「今のままだとMちゃんの邪魔になってんで。」と言いました。あっという間にMちゃんと上下関係ができました。先輩達もバドミントンが上手いMちゃんと試合をしたりペアを組んで練習したりすることが多く、どんどん権力をつけ、わたしは“Mちゃんとダブルスを組んでいる”という小さな権力に縋って生きるしかなくなりました。小学校でも、友達の機嫌を伺いながらびくびくしていたように思います。今思えば、なんてネガティブでつまらないやつなんだと笑い飛ばせますが、当時はいっぱいいっぱいで生きていたように思います。