カテゴリ:想い
沖縄の糸満にあるユニークな民宿ヤポネシア。
そのHPのトップに、糸満の美しい浜辺の写真とともに 「海をつかまえることも 風をつかまえることも できようが できっこないよ ママ 僕をつかまえるなんて」 というカワイイ詩が書いてあります。 それを読んで、「つかまえられるもの」について想いました。 左の掌を見つめ、握ってみる。 空気も風も、つかむことができません。 水も海も、つかむことができません。掌からこぼれてしまいます。 形のないものはつかめないんですね。 だから、ペンを握ってみました。 ペンをつかむことはできました。 けれど、次に何かをする時は、ペンを離さなければできません。 形のあるものも、一瞬つかめたと思っても、ずっとつかみ続けることはできないんですね。 家族や友達も、今はひとときを一緒にすごすことができても、ずっと一緒に居られることはないんです。 お金も、地位も、名声も、自分の掌を滑って通り過ぎていくものです。 自分がつかめるもの。自分のものだと思っているもの。 そう考えると、ずっと自分のそばにあるもの、自分がつかんでいると思えるものは、「自分」しかないのですね。 体だって、「魂の器」と考えれば、死ぬ時捨ててしまうものです。 「自分のもの」というのは、今こうして考えている「心」しかないのかもしれません。 この「心」が、肉をかぶり、いろいろなものを手にしているだけ。 けれど、その肉もものもかりそめのもので、生まれた時に肉をいただき、生きている時にものをつかんだように思っていても、死ぬ時はすべて天に還すのです。 肉をかぶった心が、お金や環境や思いに一喜一憂しているのが人間なんですね。 一生懸命、得ようと努力して、得たものは大切に大切にして、 そして失ったとしても、それは、失う時期に来た借り物なのだから、こだわらない。 つかめるものなどないのだから、一生懸命、そしてこだわらない。 そんな想いでいたいなと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年11月04日 10時36分54秒
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