カテゴリ:認識の歩み
隋王朝による 支那の再統一(五八九年)後まもなく、 短期間の内戦を経て、 唐王朝(六一八-九〇七年)が支配権を握りました。 そして唐の次にはやや長い空位期間の後、 宋(九六〇―一二七九年)がつづきましたが、 実際には、支那の政治の典型的な王朝の 図式に合致しない面が多いのです。 六〇〇年から一〇〇〇年までの 四世紀を取ってみても、 強力な中央政府の力は七五五年までしかつづかず、 それ以後は、帝権が衰え、 地方軍閥すなわち節度使が力を得て、 支那が、中央アジアのウイグルを長とする 強力なモンゴル・トルコの連合体に 従属するという時代がつづくのです。 八四〇年のウイグルの滅亡も、 たんに主人が他の蛮族に代わっただけで、 彼らは唐朝の最後の数十年間は、 北支那を直接に支配しました。 宋朝もこれら蛮族の支配者を 支那の北東部諸省から 追い払うことはできませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年05月23日 05時10分06秒
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