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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2023年05月23日
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カテゴリ:認識の歩み


隋王朝による
支那の再統一(五八九年)後まもなく、
短期間の内戦を経て、
唐王朝(六一八-九〇七年)が支配権を握りました。

そして唐の次にはやや長い空位期間の後、
宋(九六〇―一二七九年)がつづきましたが、
実際には、支那の政治の典型的な王朝の
図式に合致しない面が多いのです。

六〇〇年から一〇〇〇年までの
四世紀を取ってみても、
強力な中央政府の力は七五五年までしかつづかず、
それ以後は、帝権が衰え、
地方軍閥すなわち節度使が力を得て、
支那が、中央アジアのウイグルを長とする
強力なモンゴル・トルコの連合体に
従属するという時代がつづくのです。

八四〇年のウイグルの滅亡も、
たんに主人が他の蛮族に代わっただけで、
彼らは唐朝の最後の数十年間は、
北支那を直接に支配しました。

宋朝もこれら蛮族の支配者を
支那の北東部諸省から
追い払うことはできませんでした。





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最終更新日  2023年05月23日 05時10分06秒
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