「ウェブ進化論」私的検証006---あとがき その2
<005>よりつづくあとがき続き 私はシリコンバレーで、人生の先輩たちが示すおっちょこちょいで楽天的なビジョンと明るい励ましに、助けられ、救われ、育てられてきた。日本の若い世代に対して、この本が同じような役割を果たせるとすれば、シリコンバレーに小さな恩返しができるかもしれないと考えた。 なるほど、この文を読む限り、悪くとらえれば、彼はシリコンバレーからの回し者と見ることができる。この10年、彼は相当にシリコンバレーからの「恩恵」を受けてきたようだ。そして、シリコンバレーへの恩返しさえ口走っている。この辺から、個人的には、著者と私の距離は限りなく隔たり、ほぼ対極に位置すると言っていい。 おっちょこちょいで楽天的なビジョンという言葉で私が受け取るものは、やはり、前記のハイハイ産業に連なるあやうさである。くだんのハイハイ産業とて、最初、表面にでてくるのは、会場に集まったお年寄り達が、むすこや孫とさえ思えるような、「かわいい」青年たちなのだ。システムそのものは暗幕の陰に座っている「親分」が仕切っている。この辺の産業については、パンタ笛吹氏の講演と著書にくわしい。(彼はこの産業の花形だった) 自分のイメージとして、アメリカ・インディアンを訪問したり、その雄大な自然を観光したりという旅は想定できるが、シリコンバレーを闊歩している自分を考えることはできない。それはしかたないことだ。ただ、ここまで読んではっきりしてきたことは、彼は日本においてもスーパーエリートであり、アメリカにおいても、世界ビジネスのスーパーエリート・ゾーンであるシリコン・バレーに住むことができた人間だということだ。私はそれを目指したこともないし、自分が日本の地方都市に住んでいることに、なんの引け目も感じることはないが、思想としては人間としての平等性、イコーリズムだ。私の場合は、やや悪平等とも言えるほどに、人間に上下はない、という思い込みがある。 ある意味、おっちょこちょいで楽天的なビジョンは現代アメリカ文化の特徴といっていいのだろう。ここから連想するのは、コカコーラやハンバーグやポテトチップスなどのジャンクフードだ。あるいは、9.11以降、イスラム社会に対してみせるアメリカという国の文化の底の浅さだ。それもまた、どこかで、おっちょこちょいで楽天的なビジョンにつながってはいないだろうか・・? いやぁ、僕はジョークで言っているのだから、君もジョークで聞いてよね、と友人から言われ、「あ、そうかそうか」とタメ口聞いて、聞き流していい場合だろうか。あるいは、親しき仲にも礼儀あり、お互いの距離をはかり、決して触れてはならない逆鱗というものもある、と互いに認識すべきなのだろうか。この本、タメ口聞いておわりにするか、こちらの逆鱗の在りかをあぶりだす副次的な効果をさえ生み出すか、いまだ私的にはまだ判断つかない。少なくとも、まず第一義的に本著がターゲットとしているのは日本の若い世代だ。著者が日本の若い世代をどのように見ているのか、本文を読んでいけば次第に分かってくると思うが、単に「青年よ大志を抱け!」と言っているだけではないだろうから、この辺は十分に留意して読み進める必要を感じる。<007>へつづく