反魂丹の文化史
地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく 「反魂丹の文化史」 越中富山の薬売り 日本アウトロー烈傳 3 玉川信明コレクション 2005/12 私の読書など、散歩中の犬のオシッコみたいなもので、とりあえずここまで来たゼ、というランドマークのようなものだ。中身はともかく走り読みしてしまって、読んだ読んだと吹聴する程度のところが関の山なのだ。だから、こうしてブログにメモしておくとか、読書ノートとかつけておかないと、内容どころか、何を読んだかさえ、忘れてしまうことになる。 ところがそんな私でも、ペースをスローダウンしてゆっくり読んでみたくなる本というものもたまにある。この「反魂丹の文化史」はまさに、そのような本の一冊だ。ハッキリ言って、この本のことを甘く見ていた。借りてきた本の最後に読み始めたのだが、走り読みできない。面白すぎる。飛ばし読みするにはもったいない。おいしかったラーメンのスープまで全部飲み干したいような、そんな気分さえ思い出させるような本だ。 実はまだ3分の一しか読んでいないのに、もう今日、図書館に返却しなくてはならない。もし予約が入っていなければ、すぐ再貸し出しを受けて、読み続けるつもりだが、ひょっとすると借りることができないかも知れないので、とりあえず、ここにメモしておく。 この本のシリーズは「評伝 山岸巳代蔵」、「放浪のダダイスト辻潤」などに連なるシリーズで、第5作まであるらしいが、他もぜひ読んでみたいと思っている。他に、「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」、「和尚(ラジニーシ)、禅を語る 」などのシリーズがあり、まだ私は「和尚(ラジニーシ)、聖典を語る」と「和尚(ラジニーシ)、性愛を語る」は読んでいない。 さて、この「反魂丹の文化史」は、越中富山の万金丹、なんて私も小さい頃よく言っていたものだが、我が家にも、4つ~5つの薬箱があったものだ。一年に一度くらい周ってくる薬売りの紙風船やゴム風船が欲しくて、とても楽しみにしていたものだ。あるいは絆創膏は、よく切り傷を作っていた子ども時代は、自分で薬箱から取り出して止血用に使った。当時はセロテープというものがなかったから、ちょっと高価だったけれど、工作用にもこの絆創膏をよく使った。 薬箱の定番は正露丸。これはおなかが痛くなれば、なんでもとりあえず正露丸だった。虫歯が痛ければ、まず、半分くらいにした正露丸を歯につめた。赤くすり、青くすり、などというものもあり、どちらかが風邪薬で、どちらかが胃薬だったと思う。六神丸(ろくしんがん)は、たしか心臓の気付薬だったと思うが、本当にゴマ粒みたいな薬だったが、小さな小指の頭ほどのガラス瓶に入っており、さらに桐のケースに入っていた。たぶん、この薬が一番高価だっただろうが、私は子どもだったので、この薬にお世話になったことはない。サロンパスも入っていた。メンタムも入っていた。赤チンも入っていた。オロナインも入っていた。 小さい時は、本当に重篤な状態でなければ、医者にかかるなんてことはなく、この家庭常備薬でなんとかしていたものだった。だから、この越中富山の薬売りには、絶大な信頼感があり、また生活必需品であったのだろうと思う。いまでもまだ、この家庭配置薬システムは存在しているのだろうが、これだけ薬局や医療システム、郊外型のドラッグストアが発達した時代だから、当然、昔の越中富山のマンキンタンは、すでに遠くなりにし風景となったのだろう。 その文化を富山県出身の玉川が克明にフィールドワークしてノンフィクションとして書き出す。マーケティングとしても面白い。民俗学としても面白い。瞑想会の仲間のP君が実は富山出身なので、この本を読みながら、彼の朴訥とした誠実さを思い出しながら、越中富山の薬売りに顔をダブらせながら、ニタニタしながら読んでいる。もっともP君は、スーパーコンピュータを扱うシステムエンジニアだが・・・。