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カテゴリ:暮らし・健康・医療
『感染症の世界史』でも、日本のことは触れられていましたが、
当然のことながら、こちらはさらに幅広く踏み込んで記述されています。 735年からの天然痘、1776年のお駒風、1784年の谷風、1802年のアンポン風、 1858年にペリー艦隊が運んできたコレラ、1918年からのスペイン風邪等々。 その様子が、富士川游の『日本疾病史』、山崎佐の『日本疫史及防疫史』、 香月牛山の医書『牛山活套』、滝沢馬琴の随筆集『兎園小説余禄』、『大正天皇実録』、 『上毛新報』等の新聞、宮沢賢治や斎藤茂吉の手紙、志賀直哉の短編小説『流行感冒』、 永井荷風の日記『断腸亭日乗』や『原敬日記』をもとに記されていきます。 そして、本書を通じて、何よりも強く感じられたのは次の事柄。 本当に、今まで知らなかった新しい姿が見えてきました。 第1章で、幕末においてペリーの艦隊が持ち込んだと目されたこれらの流行が、 攘夷の機運を高めたことに触れましたが、文久2(1862)年の麻疹流行もまた、 日本史に大きな影響を与えたと言えるでしょう。 このように感染症という補助線を引いてみると、 日本史の新たな姿が見えてくるのです。(p.129) また、本著では、かつて先人たちが感染症に立ち向かってきた歴史を踏まえながら、 今回の新型コロナウイルスへの対応についても、著者の思いや考えが綴られています。 完全な免疫が得られるかどうか分からない、ワクチンも完成していない状態で、 我々はどうしたらよいのでしょうか。 結論的には、ドイツが提唱して行っているように、 病院のキャパシティを超えないように留意して、 ワクチン開発まで経済活動を活発化しては制限して止め、 またゆるめては活発化させるほかありません。 経済か感染抑止かの二者択一ではなく、緩和と制限を繰り返しながら、 弱毒化・ワクチン開発・症状緩和の技術開発まで、しのいでいくほかありません。 そうしながら、感染率、致死率や重症化率を下げていきます。 通常のインフルエンザに近い死亡率の状態にまでもっていったところで、 制限がすべて解除されるという終息までのロードマップがみえてきます。(p.232) 昨年9月に刊行されたものに記述された内容ですが、 現在でも十分に通用する指摘ではないでしょうか。 また、著者の磯田さんと恩師・速水先生との出会いが記された 第9章の内容も、とても素敵なものでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.23 19:52:31
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