理解と承認
今回は自分の心境を自分の忘備録代わりに。人様をあまり意識していない作りなので、もし見てもあまり気になさらずに。たまたま探していた、昔関西ローカルでやっていた「怒涛のくるくるシアター」のオープニングテーマ。まだ駆け出しの、雨上がりやFUJIWARA、なめくぢ(現よゐこ)なんかが出ていた20年くらい前のお笑い番組。これを探していて、たまたま辿り着いたのがこの曲。そして、先ほどの曲とこの曲が入ったアルバム、SACRAの「ついのすみか」SACRA / ついのすみか1. 南冥行~蘭の舟~ケシの花2. ナーダムがやってきた3. 中国民謡メドレー:馬車夫の恋~お姫さま~ふらり~春来ませり4. ガブリエルのラッパ5. チベットワルツ6. 夢の秘密7. 雲南の風8. 基隆(キールン)で9. さくら さくら10. トラジ11. わーい澄んだ声とハンマーダルシマーがとても心地よい。でも、その澄み渡る声で唄うのは「死」そのものである。僕はこの曲に出会い、衝撃と何ともいえない安心感を得た。この安心感の出所が見当がつかなかったのだが、最近やっと分かった。そう、自分をやっと認めてくれるものに出会ったのだ。裏を返せば、奥さんが亡くなってから今までまともに自分を理解しその考えを認める人間は居なかったということ。これに関してはちょっと前のブログで自分も言っていることで、別に憤ったり悲しんだりはしていない。本気でない他人なんて、もともとその程度だと思っているから。そんな中、この曲に出会えたことは本当にとても嬉しい誤算。まさか曲というものに助けられるとは思わなかった。昔は死ぬことが怖かった。でも今は「その時」を待ち望んでいる自分がいる。人間の心境なんて解らないものだな、って思う。でも、今の自分の心境は不可逆の物。ここから戻っていくことは、どうも無さそうだ。これに関して宗教の事も書こうかと思ったが、ただの罵詈雑言になりそうなのでやめておく。幸か不幸か、このアルバムはとうの昔に廃盤になっていて、入手が難しい状態。これをどこかの店で偶然手にすることが自分の目標、とでもしておこうか。