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カテゴリ:“おぎゃ~と生れてXXXXX日”
1月22日(月)晴れ
・おぎゃ~と生れて、24698日 (67年 7カ月13日) ・[2020年1月22日、心筋梗塞]から生かされて、1462日 (4年 1日) 4年前の今日だった。出部公民館でまち協の事務局長として書類作成の作業をしている時に胸を鷲づかみにされて握り潰されるような痛みで膝から崩れ落ちたのが1月22日だった。 あの時は何が起きたのかわからず立っているのが苦しくてそれでも家に帰って横になろうとした。帰って横になっても楽にならない。痛みに苦しみながらも井原市民病院へ自分で運転して向かった。玄関を入ったところで倒れ込んで中央処置室に運び込まれた。循環器の徳永医師の診察をうける、うちでは対応できないという判断で応急処置で点滴を打たれた状態で救急車で福山市民病院へ搬送された。(何度乗っても救急車というのはいいものではない) 到着すると医療チームが待機してくれていて手慣れた動きで裸にされて手術着に着替えさせられた。息苦しくて目が明けられない。意識が朦朧としていた。 心筋梗塞で2か所血管が詰まっていると診断されて即、カテーテル治療が行われて大きい方の左冠動脈のステント治療がなされた。もう一か所は体力の回復を待って2回目のカテーテル治療が行われた。合計4個のステントが心臓に埋め込まれた。心臓の4割が壊死し6割の心機能で生きることを告げられた。 あれから丸4年、再発の恐怖に怯えつつリハビリ生活を送る。毎日就寝前後、体重・体温・血圧を測定し記録することを日課とした。 発症日、2020年1月22日朝、85.6㎏・35.0・168/94-62 1年後、2021年1月22日朝、82.0㎏・35.5・112/70-58 2年後、2022年1月22日朝、82.2㎏・36.0・130/66-58 3年後、2023年1月22日朝、81.0㎏・36.0・120/77-58 4年後、2024年1月22日朝、78.6㎏・35.6・129/63-58 あの日、公民館から救急車で運ばれていればこんなフレイル状態にならなかったかも、いやいやもう少し発症が遅ければコロナ騒動で助かっていなかったかもしれないとも言われた。 過去は変えられないが未来は用心次第で長らえられる。 余生4年、生かされたことに感謝! 大切に生きよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.22 14:07:28
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