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カテゴリ:社会のこと
昔PTAの会議で困ったことがあった。一人強力に発言する人がいて、話がその人の言う方へ言う方へと流れて行く。内容にちょっと問題があると思ったけれど、誰も反対意見を言わない。「おかしいと思っているのは自分だけなのかな??」と納得のいかない思いで会議を終えた。
ところが帰り道で一緒になった人たちが「さっきの案、おかしいよね」「絶対良くないと思う」と口々に言いだした。それを聞いてあぜんとした。誰も表明しなかった反対意見の方が多数派だったのだ。 その一件以来、自分の意見が少数意見かもしれないと思っても、できるだけ意見を言うようにしている。そうすると実は自分たちの方が多数派だった、ということが何度かあった。 人が集まる場所では「最初に発言する人」「積極的に発言する人」「大きな声で発言をする人」を中心に話が進む。だからその意見が多数派だと錯覚してしまう。でもそうとは限らない。 「おかしい」と思っても声を上げずに黙っていたら「積極的に発言する人」のいいなりにされてしまう。そうなってしまうのは黙っている多数派にも責任がある。 原子力発電所は、黙っていたら利権を握る人たちにいいようにされてしまうだろう。いじめでは、黙って見ている傍観者も広い意味では加害者だと思う。黙っているということは認めているということ。「おかしいこと」には「おかしい」と言わなければならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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