テーマ:ひとりごと(15340)
カテゴリ:きょうのこと
関東大震災が起きた事を記念して、できた記念日ですね。
午前11時58分だったでしょうか? 少なくとも公式にはそうなっています。 母は府立第三高等女学校の帰り道であったそうです。 当時を思い出して「そりゃぁ、恐かったよ。」とよく話していました。 それより何より、その10分程後、そこら中から火の手が上がった。 「その方が恐かったよ。」と語ってくれていました。 東京市赤坂区青山高樹町での噺でした。 (現在では東京都港区南青山七丁目と呼ばれているあたりのことです。) もう、語部にあたるべき私の記憶でさえこんなになっているのです。 インターネット時代の今、安易に調べて分かったフリをせず、 そのもの凄さを語り継ぎたいですね。 阪神淡路大震災にしても、東北地方太平洋沖地震にしても、 しっかりとした情景の語り継ぎが必要なのでしょうね。 その最悪の例が、広島、長崎であんなに語り継いだ原爆の悲惨さ、 ビキニ環礁での第五福竜丸の被災の状況をあんなに語り継いだはずなのに こんなに沢山の原発があるのか、そして福島の悲惨さを隠そうとするのか? その人たちが、広島、長崎を同じ国土の中に持つ人たちと思えないのは 私の「科学的な無知」から来るものなのでしょうかね。 まだ、敗戦国の被占領政策がつづいているような気がしてならないのです。 さあ、今日は多くの義務教育学校が二学期の始業式を迎えます。 先生方、どうか「語り継ぐこと」の大切さを実行なさってくださいね。 親たちはもう頭が硬くなっていて、無駄です。 頭が柔らかく、まだメモリー容量に余裕のある子ども達に 革新的な方々からは批判されそうな、心のきびや感じ方の お話をしてあげてくださいませんか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年09月01日 15時12分57秒
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