アブでつながる・・・ある貴人のお墓のこと「阿武山古墳」
上の図は、昨年8月の第3回館長講座で、弥生時代から古墳時代にかけて、わが国の金の使用状況を中心にした90分のお話しを展開した時に、投影したスライドの一コマの一部を切り出したものです。 今回の問題は、古墳時代後期の最終末の頃のことです。弥生~古墳時代を下にひきだした年表の右端(いちばん新しい)の年代について「1千3百年前」としていますが、1,300年前というと奈良の都(平城京)がすでにできていますので、古墳時代の終末はその少し前・・・。ちなみに、この年表は考古学ベースで作成していますので、歴史ベースとうまくかみ合わない部分、それは古墳時代後期の終わりで歴史では「飛鳥時代」に相当してきます。 そんな時代に残されたある古墳のことが、急に「アブ」つながりで、頭に浮かびあらためて考え直した時間がありました。これはそれを受けてのメモです。 ある古墳とは、大阪府の高槻市と茨木市の境にある史跡・阿武山古墳であります。この古墳がどんなものであるのか、については、とても長くなります。ずいぶんと前に(まだ駆け出しの頃)、何かの本でこの古墳のことを知り、深く感銘を受けたことがあり、いまでも胸の内で沸々とするものがあるので、自分の口で語ると七日七夜かかるかも。なので、お時間があるとき、ウィキペディアの「阿武山古墳」の項を見ていただくのがいいかな、と思います。 ここでは、その出土品の一つ、上の写真(出典:ウィキペディア。高槻市立今城塚古代歴史館での展示状況を紹介するもの)で、左端にある復元された帽子(冠帽といいます)に注目します。 この古墳に埋葬された方の遺骸は、比較的よく遺っていて、その亡骸の頭から顔の辺りに、細い金の糸が絡みつくように発見されていたのですが、千年以上の時を経ても腐らない金、しなやかで細い糸状にも加工できる金ならではのことです(この金の特徴は、当館の常設展示室でも紹介されていることですが・・・)。 この金の糸は、冠帽の装飾として使われていたもので、有機質の冠帽の本体がなくなって、装飾材料だけが頭の周りに遺っていた、そうした調査成果から、上の写真のように復元されているのです。 時代は聖徳太子の活躍の少し後のことですが、聖徳太子の業績の1つに「冠位十二階」というのを昔、習いましたね。出来上がったばかりのこの国の政府の役人たちに12の階級を整え、冠のスタイルで位がわかるように・・・、そんなことだったかと思いますが、ともかくその頃のエライ方はりっぱな冠を付けて(ないしは所有して)いたのです。 阿武山古墳の出土遺物から復元された冠帽は、それにつながるものとの位置づけを与えられており、その最上位クラスと考えられています。こうしたことや、その他の情報から、阿武山古墳に葬られた人物は、1つに「藤原鎌足(中臣鎌足)」と考えられいるのです。 こんなことを、急にアブが思い起こさせてくれました。