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カテゴリ:ブログ冒険小説
パダウの呪い 光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)
地球温暖化のせいだろう。1月下旬のこの日は、この冬一番の厳寒、朝の外気温がマイナス20℃だった。と言うことは、東南アジアは真反対の熱波が襲っていたのだ。 北小路は書きかけの『ミャンマー近現代史・随想記』を一旦、中止した。2月中旬にシンガポール経由でタイに入り、ミャンマーとの国境の街に行く。その間、タイの歴史学者、宗教学者と会うことになっている。現地で生の近現代の歴史観が聞ける。その取材ネタを持って帰って、最終章を書こうと思った。タイの学者とのセッティングは全て十鳥が手配していた。 だが、北小路の心に邪念が入って来た。書けるじゃないか――ノンフィクション小説が――題名は『パダウの呪い』が良いだろう。ミャンマー国軍との壮絶な戦い。かくしてミャンマーは、歴史上初の「真の民主主義国家」となった、と。恐らく、5年はかかるだろうが……俺が77歳になるなぁ……これが最後の著作となるのかぁ……次に予定している日本の古代史の小説は書けるのだろうか…… 北小路は邪念を払った。そしてシンガポール・タイ行きに必要な事項・持ち込む物などのリストをPCに打ち込んでいった。 一方、赤石と十鳥、ヘレンペインらは、在日ミャンマー人武装組織内部に潜む、ミャンマー国軍のスパイの排除を急いでいた。今後の憂いを消さなきゃ、と。 1月下旬。在日ミャンマー人武装組織の主要なメンバー20人に案内メールを送ることにした。 『新型コロナ終息後の高度技能者及び技能実習性、並びに留学生の課題』との名目のセミナーで、札幌の3流ホテルで開催する。主催者は『在日ミャンマー人人権を守る会』(NGO)主催者の赤石弁護士である。 これは十鳥が考えた『スパイ摘発』の罠だった。『罠』は実に単純なものである。十鳥らは、スパイは主要メンバーの中にいるのだ、と確信していた。なぜなら、十鳥らの動向を知り得ているのは、主要メンバー20人だったからだ。それと、北海道公安調査局の江戸川局長、頼課長からの情報もあった。怪しき人物は絞られているが…… 赤石は主要メンバー20人のスマホにメールを送った。 『日本では新型コロナの終息が近い状況となり、政府は海外からの技能実習生、高度技能者等の受け入れを開始することとなりました。つきましては、在日ミャンマーの方々向けの、今後の課題を提示し、各自の抱える問題点を解決させることをテーマとしたセミナーを開催します――』 そして末尾には強調したゴシック体文字で、 『なお、セミナーの費用負担は、各自でお願いいたします。金額は¥300,000円です。欠席・出席はメールで、お願いします。期限は明日の朝9時とします。』と記した。 在日ミャンマー人武装組織の主要なメンバーの15人は、東京・大阪などにいる。旅費を合わせると優に40万はかかる。一般の若い日本人でも同じだが、この金額をセミナーに出せる主要メンバーは、どう調べても皆無である。札幌・北海道にいる主要メンバー5人の身体検査は済んでいるが、念のために20人の枠に入れた。スパイは本州の15人の中にいるはずだ。彼らを対象とした。 メールを20人全員に送った赤石は、申し込みの期限1月25日まで、1日だけとした。24時間が勝負とみたからだ。費用の工面を、他に相談できる時間を与えないのがベストだ。 来い! 来い! 時間がかかった『出席』のメールよ! メールを送って5、6分後、事務所の専用PCに次々と『欠席』のメールが入って来た。そして10分が経った時、19人目からメールが届いた。そのどれもが、『費用の工面がつきませんので――欠席します』とあった。残るは、後1人だ! こいつか! 赤石は24時間後の翌朝を待った。 翌朝9時。赤石が事務所に入った。ベテランの女性スタッフ2人が事務所の掃除をしていた。開業した時からのスタッフで、赤石は格別な信頼をおいている。 「おはよう。メールを見ましたか?」赤石が言った。 「先生。昨日先生が帰ってからは、1通の『出席』メールが入っていました。発進時間は、今朝の8時15分です」 「ありがとう」と言って、赤石が専用PCデスクに座り、そのメールを見た。この専用PCのメールは、在日ミャンマー人関係からの発信、受信だけに使っている。 メールアドレスは『彼』のだった。もちろん名前も。 「やはり、彼だったのか!」 彼とは、主要メンバーのひとりで東京の国立大の留学生である。点と点をつなげ、予断を持って、彼が怪しいと睨んでいた人物である。目立たなくおとなしい。小遣いを、いつも5、6万円持っていると聞く。金銭に困るような話もない。私費留学生だが、主要メンバーらが言うには、ミャンマーの実家は山地の農家で容易く留学できるとは、思われていないらしい。あるメンバーによると、親戚にミャンマー国軍の幹部がいるとも聞いている。 さっそく赤石はスマホで、十鳥に『彼』を知らせた。 「やはりそうだったのか。『彼』の尾行監視をさせる。彼がスパイだと確認してから、我々はシンガポール経由でタイに行く」 「十鳥さん。じゃあ、これから19人にセミナーの開催を中止したと。私に急な事情あって、と。費用負担の件は、私の間違いで申し訳ない。『次回セミナーがあれば、費用負担の全て。金額ゼロ』と伝えるとしよう」 赤石は19人にメールを送った。そしてふっと息を漏らし、窓外を見た。大通り公園の樹木、その枝の小さな氷柱(つらら)がキラッと光を放った。
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