お経ってこれまで何度も聞いてきましたが、
はじめて経を感じた言葉がありました。
南無蘇嚕婆耶 多咃伽多耶 多姪咃 唵
蘇嚕 蘇嚕婆耶 蘇嚕婆耶 蘇嚕 娑婆訶
なむすりょうばやー
ととぎゃーとやー
とじとー えん
すりょうーすりょうー
ぼやすりょー
ぼやすりょー
そもこー
南無薩婆 咃哆伽多 嚩慮枳帝 唵
(如来 (タターガタ) が観察した 【天地一切のもの】 に 帰依し奉る。オーン。)
三摩囉 三摩囉 吽
(あまねく集い給えあまねく集い給え フーン)
南無蘇嚕婆耶 多咃伽多耶 多姪咃 唵
(色身如来に帰依し奉る。例えば以下の如し。オーン。)
蘇嚕 蘇嚕婆耶 蘇嚕婆耶 蘇嚕 娑婆訶
(依止せよ (進み出でよ) 。 依止せよ (進み出でよ) 。)
(よく依止せよ (進み出でよ) 。 よく依止せよ (進み出でよ) 。 スヴァーハー。)
開甘露門(施餓鬼 文)
禅宗のお経に「開甘露門 (施餓鬼) 」 という
お経 が あります。施餓鬼供養 の お経です。
p30
ともあれ、日蓮の母親は、釈尊の「盂蘭盆」の教示のおかげで餓鬼世界から救われたわけだが、
果たして餓鬼道に堕ちる原因となった「慳貪(ケンドン)」の心を悔い改めることができたのだろうか。
「盂蘭盆経」を見る限り、反省をした結果として救われたとは考えられない。
しかし、逆に言えば、「盂蘭盆」の教えはそれほど絶大な力をもつものということになるだろう。
開甘露門 南無蘇嚕婆耶 多咃伽多耶
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