時間とはいったいなんなんだ‥
『時間は、元来方向があるわけではなく一直線でもなく、さらにいえばアインシュタインが研究したなめらかで曲がった幾何学のなかで生じるわけでもない。量子は相互作用という振る舞いを通じて、その相互作用においてのみ、さらには相互作用の相手との関係に限って、姿を表す。』
時間は存在しない、といきなり言われても、いやそうは言ったってこうやって呼吸をしている間にもカチッカチッカチッと時計の針は動いているんだから──とつい否定したくなるが、これを言っているのは、一般相対性理論と量子力学を統合する、量子重力理論の専門家である、本職のちゃんとした(念押し)理論物理学者なのである。
名をカルロ・ロヴェッリ。彼が提唱者の一人である「ループ量子重力理論」の解説をした『すごい物理学講義』は日本でもよく売れているようだが、本書はそのループ量子重力理論から必然的に導き出せる帰結から、「時間は存在しない」ということをわかりやすく語る、時間についての一冊である。マハーバーラタやブッタ、シェイクスピア、『オイディプス王』など、神話から宗教、古典文学まで幅広いトピックを時間の比喩として織り込みながら、時間の──それも我々の直感に反する──物理学的な側面を説明してくれるのだが、これが、とにかくおもしろい!
物理学系のノンフィクションで関係ない文学やらの話を取り混ぜられると、「そんなんはいいから、はやく本題に入ってくれないかなあ」とイラついてしまうこともあるのだが、著者の場合それがあまりにたくみなので、気にならないどころか、時に表現それ自体に感嘆してしまうことさえあった。「とはいえ、そんな専門家の人が書いた本なら、さぞや難しいんでしょう?」と思うかもしれないが、本書には数式は一箇所しか出てこないので、どうぞ気軽に読み始めて欲しい。
なるほどねと、納得しかけるが、すぐに「なんで昔はエントロピーが低い状態だったの?」と次の疑問が沸いてくる。というのも、エントロピーが低い状態とは秩序だった状態ということだが、なぜこの宇宙は秩序だった状態で生まれてきたのだろう? 不思議な話である。これについての著者の見解はちょっとびっくりするものだ。
かれによると、エントロピーが存在するのは次のような理由になる。『エントロピーが、じつはお互いに異なっているのに、わたしたちのぼやけた視界ではその違いがわからないような配置の数〔状態数〕を表す量であることを証明したのだ。つまり、熱という概念やエントロピーという概念や過去のエントロピーのほうが低いという見方は、自然を近似的、統計的に記述したときにはじめて生じるものなのだ。』
これだけではおそらくわかりづらいので補足しよう。トランプ52枚が、前半分と後ろ半分で赤と黒で分かれていたならば、我々はそこに秩序を見出し、「エントロピーが低い」と感じる。それをシャッフルしたら秩序が失われ、「エントロピーが増大した」と感じる。でもこれは色に注目した場合だ。ハートとスペードが交互に連続していても、我々はそこに秩序を見出す。だが、それが「特別だ」と感じるのは特定のカードの性質に特別に注目し、我々がそのような統計的な認識を行うからだ。
世界をよりミクロな目でみると、特別さも統計的な粗雑さも消える。だから、著者はエントロピーは我々が世界を曖昧な形で記述するからこそ生まれ、昔を「エントロピーが低い状態だった」と感じるのは、我々が物理系として相互作用してきた変数の部分集合に関してのみの話なのではないか、と語るのである。『過去と未来が違うのは、ひとえにこの世界を見ているわたしたち自身の視界が曖昧だからである。』
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