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テーマ:ブラジルで観た映画(104)
カテゴリ:サンパウロの生活
原題:MONSIEUR BATIGNOLE
製作年:2002 製作国:仏 監督:Gerard Jugnot 出演:Gerard Jugnot Jules Sitruk <内容> 時は第二次大戦のフランス。 ドイツ・ナチス軍の支配下にあったパリで、ユダヤ人狩りが行われていた。 バティニョールおじさんは肉屋兼惣菜屋を経営する普通の一市民であったが、いわば自分のせいで捕らえられてしまったユダヤ人医師一家の逃げてきた息子をかくまうようになり、ついには彼を両親に会わせる為、一緒にスイスへ向かうのだった。 バティニョールおじさん ナチスだとか、ユダヤ人とかいうと、とかく暗く、辛いものになりそうだけど、これはあえて、テーマを人間の良心の認識に目覚める課程ということに絞っているので、厳しい時代背景の描写は最低限に抑えてありました。 うだうだとぬるく生きてきた、バティニョールおじさん。 自分の信念を持ったり、貫いたりということには無縁で、だらだらと生きやすいように流されながら、何事にもあまり深く考えないようにしながら、世の中を渡り、妻には常にバカにされていました。 そんな普通の市民のおじさんでも、フランス軍としてドイツ軍と闘った過去もあり、自国が敵国ドイツに支配されているというのは心安らかではいられない事実でした。それでも、毎日を争いごとなく窮地に陥らないように生きるためには 強きに屈するしかなく、心の中はもやもやとしたまま、ドイツ軍校御用達のビュッフェ業者と成り下がっていたのでした。 ドイツ軍校御用達になることで、気持ちは煮え切らないまでも、収入はアップし、娘の婚約者の計らいでユダヤ人医師の住んでいた瀟洒なアパートに住むことも許されます。 憎きドイツ軍に心を売ることは屈辱ではあるけれど、彼らのお陰で素晴らしい恩恵を得られました。 感情は煮え切らないけれども、何も考えないようにすればいいのさ、こんなときは。 それが、バテイニョールおじさんの生き方なのでした。 ま、ほとんどの市民の生き方は こんなものではないのでしょうか? そんな中、予期しなかったことが起こります。 ドイツ軍に連れ去られたはずのユダヤ人医師一家の幼い息子シモンが 命からがら逃げ帰ってきたのです。びっくりしたバテイニョールおじさんは とりあえずは女中部屋にかくまい、時機を見て逃がそうとします。 厄介なものを抱え込んでしまったなあというのが本心ですが、いわば自分のせいで捕らえられてしまったかわいそうな子供でもあります。そのまま警察に引き渡すと、殺されてしまうのは目に見えています。厄介なことを抱え込まないのが主義のおじさんは ほんのばかり残っている良心の呵責に悩まされるのですね。 そのようにうだうだとしているうちに ついに後には引けない状況に陥ります。 子供を見放すか。 それとも、かくまうか。 こんな一か八かの決断を迫られた状況で、子供をかくまう決断をとります。 普通の人間の割に合わない決断というものはこんな窮地に立たされたときに やっと下されるのでしょうか。 人間とは立派に信念を貫く苦しい生き方をしている人もいますが、大抵は生きながらえるために、周りに合わせたり、自分を殺したりして生きるものです。それが賢い、大人の生き方なのです。 しかし、一握りの良心を完全に無視するかしないかで、人間の価値が決まってくるのかなあと思ったりしました。 バテイニョールおじさんは 窮地に立たされ、絶体絶命の大ピンチとなりました。 何で、オレが・・・ そう思ったに違いありません。 しかし、子供たちと行動を共にするにつれ、自分が子供たちの運命を握っているという事実に責任を感じるようになり、それを誇りに思うようになります。 醜いさえない親父の その誇りを持つようになるきっかけというものは 突然現れました。 おじさんは この事件がなかったら、一生だらだらと流され、考えず、ただ息をしているだけの生きてない人生をおくることとなったでしょう。 それが、あるほんの小さなきっかけで 自分の行動に勇気と自信を持つようになったのです。 これは戦時中に限らず、いつの時代でも言えることなのかもしれません。 命がある以上、人生を「生き」ていきたいものですね。 主役のおじさんを 同監督が演じています。 ちょっぴり小ずるく、さえない中年のバテイニョールを 自分の思い通りに演じられたことでしょう。セザール最優秀男優賞をとったようです。 シモンを演じた子役の男の子は 本当に澄んだ、無垢な瞳をしていて、こんな瞳の少年を目の前にして、背を向けることなど不可能であろうと思わせるほどの聖顔さでした。 そんな無垢な風貌の癖して、言動はまったく無垢ではないところが なかなか笑わせてくれました。金持ちのブルジョワ息子であるため、かなり我侭。 「あれもってきて。」 「のどかわいた。」 まるで使用人に命令するように、あどけなくバテイニョールに命じます。 いわば庶民階級であるおじさんは憤慨し、罵倒しながらも、いそいそと物を持ってきたり、彼の要望にこたえようとすることろが実におかしかったですね。 そして、教育をあまり受けていないおじさんと、ドイツ語、英語を自由に操るほどの男の子とのギャップも笑いを誘うエピソードの中にちりばめられていました。 それにしても、ドイツ人って堅く、無表情で、融通の効かないような人間に描かれることが多いですね。それは 侵略された側から見た、敵国のイメージなのでしょうかね? 中国や韓国に入った日本人も 同じように描かれることが多いですね。 実際そうであったのか、それともそのように怖く見えたのか・・・。 でも、アメリカ人はそう描かれることは少ないように思います。もっとフレンドリーで、親切であると。 そして、この映画には いろいろな親切な人間も現れました。 ピンチを助けてくれた看護婦、食べ物を分けてくれ、寝床も提供してくれた農場女主、そっとにがしてくれた地元の警官及び神父など。 良心を少し持ち合わせている人、溢れるほどに分け与えるもの、愛を渇望しているものといろいろですが、同時に護身の為に 人を窮地に陥れようとする人もいます。 農場主の息子もそうでした。彼は一人息子で、母に守られている。父の亡き後、自分にとって母はかけがえのない大切な人なのに、母は異性の愛に飢えていて、関係を持ってしまう。父が生きていれば そんなこともおきなかっただろうにと激しく嫉妬し、傷ついています。仕返しをしようとたくらみますが、後できちんと反省もしたりします。 人は 知らず知らずに失敗し、人を傷つけることもある不完全な生き物だけど、ほんの一握りの良心や愛によって、救われているのかなと考えさせる映画でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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