テーマ:たわごと(26617)
カテゴリ:散文・つれづれ
「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。
もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみがつき従う。 あたかも車輪が、それを牽く牛の足に附き従うように。 ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。 もし人が清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽がつき従う。 あたかも身体から離れることのない影のように。 学ぶことの少ない者は、牛のように老いていく。 肉ばかり増えて、智慧は増えない。 自分の救済者は自分自身である。 他の誰が救ってくれようか。 自分を正しく制御してはじめて人は得難い救済者を手に入れるのだ。」 これは原始仏典にあることばだそうだけれど 本当にその通りだなと最近つくづく実感する。 よいことを引き寄せたいなら よいことを周囲に振りまく。 自分が「本当に」してほしいこと、もらいたいものを 快く他者に譲ることだ。 本当はやってあげたくないのに 因果の法則を自己流に解釈し 「ご褒美」を期待して他人に親切にしよう、などという下心があると 不思議なもので、けっして「ご褒美」はやってこない。 それどころか、手痛いしっぺ返しを頂戴してしまったりする。 最近よいことがなく悪い事が続くというときには 必ず自分のどこかに原因があるのだ。 その多くは、 己の心を律することと、無理や我慢を己に強いることを 最初から取り違えているところから来ているように思う。 無理や我慢というのは 結局、自分が望むような「結果」を期待した行為であって 自分が心から、本当に望んでいることではない。 心を律すれば、結果はついてくるけれど 結果を期待して我慢をすると、心や身体は知らず知らずのうちに壊れて行く。 生きていれば 良い事も悪い事も起こる。 良い事ばかりが続いたり、悪い事ばかりが続いたりということはありえない。 それでも心のあり方次第で 哀しみや苦しみに沈む時間を短くしたり 小さな不幸を、かえってラッキーと発想の転換をすることはできる。 難しい事だけれど 沈んでいる時にこそ 不幸のタネをばらまかないで 幸福のタネをまきませんか。 今は冬でも、やがて春になったとき たくさんのちいさな幸福を手に出来るように。 言霊は 似た者同士を引きつけます。 その力や影響力は、多くの人たちが思っているより ずっとずっと強力なものなんですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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