テーマ:たわごと(26730)
カテゴリ:散文・つれづれ
「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。
もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみがつき従う。 あたかも車輪が、それを牽く牛の足に附き従うように。 ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。 もし人が清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽がつき従う。 あたかも身体から離れることのない影のように。 学ぶことの少ない者は、牛のように老いていく。 肉ばかり増えて、智慧は増えない。 自分の救済者は自分自身である。 他の誰が救ってくれようか。 自分を正しく制御してはじめて人は得難い救済者を手に入れるのだ。」 これは原始仏典にあることばだそうだけれど 本当にその通りだなと最近つくづく実感する。 よいことを引き寄せたいなら よいことを周囲に振りまく。 自分が「本当に」してほしいこと、もらいたいものを 快く他者に譲ることだ。 本当はやってあげたくないのに 因果の法則を自己流に解釈し 「ご褒美」を期待して他人に親切にしよう、などという下心があると 不思議なもので、けっして「ご褒美」はやってこない。 それどころか、手痛いしっぺ返しを頂戴してしまったりする。 最近よいことがなく悪い事が続くというときには 必ず自分のどこかに原因があるのだ。 その多くは、 己の心を律することと、無理や我慢を己に強いることを 最初から取り違えているところから来ているように思う。 無理や我慢というのは 結局、自分が望むような「結果」を期待した行為であって 自分が心から、本当に望んでいることではない。 心を律すれば、結果はついてくるけれど 結果を期待して我慢をすると、心や身体は知らず知らずのうちに壊れて行く。 生きていれば 良い事も悪い事も起こる。 良い事ばかりが続いたり、悪い事ばかりが続いたりということはありえない。 それでも心のあり方次第で 哀しみや苦しみに沈む時間を短くしたり 小さな不幸を、かえってラッキーと発想の転換をすることはできる。 難しい事だけれど 沈んでいる時にこそ 不幸のタネをばらまかないで 幸福のタネをまきませんか。 今は冬でも、やがて春になったとき たくさんのちいさな幸福を手に出来るように。 言霊は 似た者同士を引きつけます。 その力や影響力は、多くの人たちが思っているより ずっとずっと強力なものなんですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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もう十年以上も前に、藤紫さんのこの記事を読みました。
自分のことを書かれているようで叱責されたようで、当時、ブログを書くのが苦しかったです。 あれからわたしは、詩人になりました。 楽天ブログを閉じて地方の同人誌の会員になり、合評会などにも参加して 先輩方の厳しい批評や、温かな励ましに支えられて書き続けてきました。 詩を書く人の多くが、自身の、また他者の傷や痛みを契機に表現の入り口に立つのだと気づきました。 現在わたしは、大阪の総合詩誌で詩を発表しています。 藤紫さんのご指摘に苦しくなった時代もあったけれど、まずは自分を愛することに取り組みました。 こころが満たされている余裕がないときは、ついつい人の至らなさを責めたてて 自分の価値が上がったような迷妄に陥るのだと、己を顧みて知りました。 厳しさの刃は痛いです。そういった刃を自他に向け、時に向けられたりしてここまで来ました。 還暦近くになったいま、気づくことも多いです。もうすぐ今生の締めくくりです。 病や苦しみ痛みは人生に付きものだけれど、病気と三十数年共に歩いてきて、 ようやく世界の在りようと、その美しさをしみじみと感じるようになりました。 藤紫さん、幸せにお暮らしですか。 貴女の祈りは遠く時空を超えて、わたしにも届いています。感謝です。 (2023.10.13 12:33:11) |
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