カテゴリ:中日比較文化
たとえば、相手の足を踏んだら、踏んだ人が謝るのは、どこの国も同じであるはずですが、踏まれた人も、「うかつ謝り」と言って謝るのは、もしかして、日本独特のマナーではないかなと思います。
「うかつ謝り」も江戸しぐさの一つで、なぜ足を踏まれた人も謝らなければならないかというと、踏まれる可能性があるところにいてしまったから、自分も悪かったというわけです。 江戸の商人は、予測することがとても大事だったようです。どんなことが発生しそうか、ちゃんと予測できなかったら、商売が成り立ちにくかったそうです。 日常生活においても、予測が当たり前のことで、足を踏まれてしまったということは、事前に予測することができなかった自分に、慎重さが足りなかったということで、うかつ謝りしなければならないわけです。 この「うかつ謝り」の精神こそ、「和」の社会の鍵を握っているのではないかと思ったりしています。 人間って、わざと人の足を踏もうと思って踏んでしまうことはめったにないと思います。したがって、謝った時に、相手に快く許された場合は、謝ってよかったと思うのですが、謝っても許してもらえていないと感じた時に、人間って、心の中では「なんでそんなところにいたんだよ」と、逆に相手を責めたくなる気持ちになるのです。 ですから、責められる前に、踏まれたほうも謝っておくと、両方とも「これからはもっと気をつけよう」という気持ちになり、「和」の状態がそのまま保たれるのです。 ということで、うかつ謝りこそ、「和諧社会」への鍵だと思います。講壇に戻ったら、少なくても、日本語を勉強する学生たちには、それをしっかり伝えたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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