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第7官界彷徨

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2・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
  国の交戦権は、これを認めない。



マガジン9条

                 

 

=ささやかな地異は そのかたみに
 灰を降らした この村に ひとしきり
 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった
        立原道造「はじめてのものに」より

 八ツ場ダムに揺れる村にも、浅間の灰が降りしきった村落の遺跡があります


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2019年07月24日
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NHKラジオ古典講読(成蹊大学名誉教授浅見和彦先生)「方丈記」が最終章(段?)になりました。
今も人気の秘密は宗教論かもね。
長明自身はそれほど仏道修行に熱心ではなかったと書いているけれど。

最後の部分にもうすぐ三途の川に行くと書いてある。
先生の言によれば、三途の川には奪衣婆という婆さんがいて死者の着物を剥ぐという、そこに懸衣翁(?)という爺さんがいてはぎとった衣をもらい受け、放り上げる、
 罪人の衣は穢れの重みで落ちる
 善人の衣は落ちない
という審判の場所らしい。

 たまたまカラマーゾフの兄弟を読み始めているのですが、新進論客として頭角をあらわしたイワンは、神なんかいない。死後の世界で生きている時の罪を審判されるなんてことはない、という論。
 アレクセイは、神の存在を信じ、最後の審判は、ある、と言う。
 イワンを熱烈支持するスメルジャコフは、死んだあとに罪を問われることはない、という考えに傾倒していく。
 というのを、YouTubeの読書会というので聞いて、古今東西、宗教論というのは人々を熱くするものなのかも、と思った次第です。方丈記も宗教論なんでしょうね。

では、方丈記、最終章。
『それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。』そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。忽に三途のやみにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。』しづかなる曉、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりにしめり。すみかは則ち淨名居士のあとをけがせりといへども、たもつ所はわづかに周梨槃特が行にだも及ばず。もしこれ貧賤の報のみづからなやますか、はた亦妄心のいたりてくるはせるか、その時こゝろ更に答ふることなし。たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ。時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。
「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」』

 前半は五大災厄、後半は方丈の庵の充実生活。
 三界とは、欲界・欲望に捉われた世界
      色界・欲望を脱却するがものの形はある
      無色界・欲望も色もない悟りの世界
三界は心ひとつで変わってくる。心が平安でなければ、象、馬(乗り物)七珍(宝物)、宮殿楼閣もつまらないもの。自分はさびしい一間の住まいを愛している。

 そもそも、一生の月影が傾いていく。残った命は西の山に月が隠れていくようなものだ。
「余算の山の端にちかし」
 山の端・山と空の接する山の方
 山ぎは・山と空の接する間

 枕草子の
春はあけぼの ようよう白くなりゆく山ぎは (少し明るくなって)
秋は夕ぐれ 夕日のさして 山のは (が近づいてみえる) 
 清少納言は山ぎはと山のはを見事に観察してつかいわけている。

 長明はここで、山の端に命が近づいていって、たちまちに三途の川に向かおうとしている。
 三途
  三つの途(づ) 地獄、血の途、刀途
 脱衣婆と懸衣翁のいるところ。
 そういう所に自分も行くことになる。

 執着してはいけない、それが仏の道なのだから、今、この草の庵を愛するのも、してはいけないという執着心そのものだろうか。
「閑寂に着するもさばかりなるべし」
 この部分は方丈記の文章が揺れている。書き写すうちに「さはりなるべし」の方が意味が分かると書き写しているものもある。
 しかし「わかりやすいから良い」とするのは、古典では決して良いことではない。

 静かな暁に、この理に気づいて、心を二つに割って自分の心に聞いてみる。
 世間から逃れて山の中で暮らすのは、仏道修行のためのはずだ、それなのにお前は姿は出家の形なのに、心は汚濁にまみれているのではないか。
 住処はそのまま維摩の修行と同じだけれど、行いは周利槃得に及ばない。
 (周利槃得とは、釈迦の弟子で、自分の名を忘れるほど愚かな男だった。釈迦は塵と垢を除く仕事を与えた。その積み重ねのおかげで彼は悟りの境地に達したという。)

 今の自分は、前世の行いの影響を受けているのか(仏道をおろそかにしたか)
 もう一人の自分が問いかけても、心は何も答えることができない。
 ただ、傍らに舌根をやといて
 「請わなくてもやって来てくれる、不請の阿弥陀仏」の御名を三回唱えて終わった。
 六根・目、耳、鼻、心、舌 
 六つの身体の器官を清らかにして、仏の教えを聞き、実践する。
 修験者が山に登るときの「六根清浄」も、同じ。

 建暦二年、弥生のつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にてこれを記した。

 以上が方丈記でした。






最終更新日  2019年07月24日 11時14分31秒

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