なんとなく、クリスタル
なんとなく、クリスタル 1980年6月 東京 ベッドに寝たまま、手を伸ばして横のステレオをつけてみる。 目覚めたばかりだから、ターン・テーブルにレコードを載せるのも、 なんとなく億劫な気がしてしまう。 それでFENにプリセットしたチューナーのボタンを押してみる。 なんと朝から、ウィリー・ネルソンの「ムーンライト・イン・バーモント」 が流れている。 部屋の端に置いてある、ライティング・デスクの方に、目をやってみる。 紫陽花の花が一本、花びんに差してある。白金台のアンチーク・ショップで 買ってきた、淡い色をしたライティングデスクの上には、なぜかオレンジ色 のデジタル目覚ましが置いてある。 でも、肝心のその時刻が読み取れない。部屋が広すぎて読みとれないと、 いう訳ではない。 ひとえに、私の視力が悪いためだ。 目を細めてみるが、どうにもならない。 0.06の視力なのだから、 これも仕方ない。 著者: 田中康夫 昭和60年12月20日 発行 1956(昭和31)年 東京生まれ。80年、一橋大学在学中, 皮膚感覚を頼りに行動する若者達の青春を描いた小説、 「なんとなく、クリスタル」が文藝賞を受賞、 百万部を超すベストセラーとなる。