坊っちゃん
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。
小学校に居る時分学校の2階から飛び降りて1週間ほど腰を
抜かした事がある。 なぜそんなに無闇をしたと聞く人が
あるかも知れぬ。 別段深い理由でもない。
新築の2階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、
いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。
弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って
来た時、おやじが大きな眼をして2階眼位から飛び降りて
腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに
飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰って綺麗な刃を日に
翳して、友達に見せていたら、1人が光ることは光るが
切れそうもないと云った。
切れぬ事があるか、何でも切って見せると受け合った。
そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指位
この通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。
幸いナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、
今だに親指は手に付いている。
著者: 夏目 漱石
昭和25年1月31日 発行
1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)
に生まれる。
帝国大学英文学科卒。松山中学、五高等で英語を教え、
英国に留学した。
留学中は、極度の神経症に悩まされたという。
帰国後、一高、東大で教鞭をとる。
1905年(明治38)年「吾輩は猫である」を発表し大評判となる。
翌年には「坊っちゃん」「草枕」など次々と話題作を発表。
07年東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。
「三四郎」「それから」「行人」「こころ」等、日本文学史に
輝く数々の傑作を著した。
最後の大作「明暗」執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。