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カテゴリ:コロナと毎日
春だったか夏だったかに、彼ら来るはずだった。
演目に”Bohemian Rhapsody”(以下ボラプ)があって、 ボラプのクラシック版は歌、合奏いくらもあるけれど、 「ぜんぶチェロってあったかな、どうしようかな」 と思っているうちに コロナで中止になった。 先々月だったか先月またポスターが貼ってあって、 11月に来日になっていた。 「来られるのかな?」 と思っているうちに、中止になった。 理由はもちろん新型コロナウイルス感染拡大防止のため。 ああ残念だな そういえば今年札幌落語まつりが来年に延期になり、 他にもチケットを買っていた落語会が2つ中止になった。 もうチケットを買う事もしていない。 座席を離して全席指定、というのもあるけれど、 その催しが行われる街は、 毎日北海道で一番感染者を出している街だ。 基礎疾患持ち、還暦間近の夫と、最近富に抵抗力が無くなり まいにちあっち痛いこっち痛い痺れるとうるさい妻が 今安心して滞在できる街じゃない。 定期的に演劇を観る団体に加入しているのだけれど 観劇はお休みしている。 何度か上演が中止になったあと、 今では感染防止のため万全の準備をして上演決行しているのだけど 万一自分が家に持ち込んでしまったらと思うと怖い。 持ち込まなくとも、たった一人の家族に 不安な思いをさせるのは嫌だ。 団体の知り合いが、 退会者がちらほら出て来ましてね、 と言う。 youtubeやスマホ、無観客コンサートの配信とか (この辺疎いのでこんな感じしか書けない) いろんな試みがされていて それはそれでとても楽しいのだけれど、 場の空気感みたいなのはやっぱり恋しい。 演じる人、歌う人、奏でる人、描く人、喋る人… 様々な、人の喜びに奉仕する人たちと 彼らのプロダクツを いつもの生活にこんなにも必要としていたと 知らなかった。 こんなに貴重だと今になって気づく。 こんどプラハ・チェロ・カルテットが来て ボラプ演ってくれるんなら行こう。 対面で芸術が何の不安もなく、 期待と喜びでワクワクしながら会場に足を運ぶ日、 早く戻ってこい。 もうこうなったら文化というか、心を愉しませてくれるものに 直に触れようとしたら 他所でやれば満員御礼になる企画でも 何故か閑古鳥が鳴く 地元美術館に行くしかないな、と思いながらも なかなか行けない、いや無精して行かない毎日である。 情けないなァ 森で始まり森で終わる。 彼らにとって、ボラプに歌われている人物の 最後に至った平明な諦念の心境(と私は思っている)は 森のしんとした、清々しいイメージなんだろうか。 オペラ部分のマンホールなのか、洞窟なのかあれは フレディへのオマージュなのかな?と思ってしまう。 ロック部分(?)のヘビメタっぽいコスプレもいいな。 フレットもないのに、サングラスして弾けるんだなあ。 メロディに、フレディの息遣いが感じられました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月06日 05時37分39秒
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