日本テレビ 教科書に載らない日本人の謎
お正月の初詣。皆さんが行くのはお寺?神社?実は日本人は、神様と仏様を同時に拝む、世界でも類をみない民族。除夜の鐘は仏教、お部屋に飾る鏡餅は神道。生活の中に、仏教と神道は渾然一体となって根を下ろしている。天才空海vsたけし。たけしは、生まれて初めて空海の開いた高野山へ詣でる。撮影禁止の聖域へ。そこでたけしが感じた「教科書に載らない日本人の謎」とは?↑興味惹かれます!絶対みなきゃ。空海はヨガのような修行をしていたということが雑誌Yoginiに書いてありました。日本では仏教は宗教というよりは、葬式のときにお世話になるもの。また神道は、正月の初詣や初参り、七五三、厄払いなど儀式で関わるもの。宗教が唯一神をもとに信仰していないせいなのか、生活に根ざしたような信仰に感じられる。絶対神という強いものでなく、陰陽五行の「気」みたいなものだろうか。今読んでいる、「食べて・祈って・恋をして」の中でも主人公エリザベスはプロテスタントの家系に生まれながらキリストこそが神に至る唯一の道だとは納得できず、ヨガのアシュラムで瞑想の修行をしたりして、至高の体験をする。彼女は、神様という呼称は極端に言えば「あれ」でもよいし宇宙の創造主でもよいと書いている。彼女は、あらゆる宗教の、人知を超えた神秘の人々に惹かれきた。神は経典のなかや空の彼方ではなく、わたしたちのすぐそばに、まさに私達自身のこころとともに在るのだと訴える人々に興奮を覚えたのだという。彼女はヨガについては下記に書いている。瞑想を通じ、学問的な研究を通じ、沈黙の行を通じ、神への奉仕を通じ、サンスクリット語の聖なる言葉を繰り返しを通じ、神を見出そうとする試みである。真のヨガはほかの宗教を敵視することも排除することもない。神聖な結びつきを目指すたゆまぬ修行を通じて、人はクリシュナに近づこうとしても、またイエスやムハンマドや仏陀やヤハウェに近づこうとしてもかまわないということだ、ヨガとは人間がかかえている小さな乱れを整えていく修行の道でもある。←「食べて・祈って・恋をして」より抜粋わたしもこれに同感する。ヨガはサンスクリット語で、結びつきという意味で、牛や馬がくびきというひもにつながれた状態の言葉から発している。こころと体、個人と神、先生と弟子、自分と他者の。。。陰と陽でたとえてもよい。そういった結びつきをみつけるものである。神は自分の中にもある。ヨガの哲学は仏教に取り込まれてもいる。仏陀はヨガの修行者でもあったからであろう。ヨガは宗教ではなく、求道者の修行といえよう。