早吸日女神社と椎根津彦神社
早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ)は、皇暦紀元前7年(西暦紀元前667年)初代神武天皇ご東遷の途次、速吸の瀬戸に於いて、長い間大蛸により守護されていた神剣を海女の黒砂、真砂が海底より取り上げて天皇に献上された。その神剣を神体として、古宮の地に天皇御自ら祓戸の神を奉斎し、建国の大請願をたてられたのが創祀である。当社にご神体として奉斎されている神剣は蛸が長い間、速吸の瀬戸の海底に於いて守護していたもので、神社と蛸とは深い縁があります。少なくとも半年以上、蛸(たこ)を食べることを絶ち、祈願をする「蛸断祈願」もある。(同神社ホームページより)要は、海の神様です。総門総門の浦島太郎の鬼瓦総門を過ぎた神池には、沢山の亀亀亀+鯉亀と当神社の関係は良く分からないが、浦島伝説と関係があるのか?伝説では、佐賀関の早吸日女社の神官が体にウロコがあり、しきりに水を欲しがるので、円生川の水源の赤迫池に行ったがさらに、沈堕の滝 ... 浦島太郎は、竜宮神である亀の化身女房と結婚して栄華な生活を送るが、やがて故郷に帰った浦島は、700年の歳月を経ていて、ついには鶴となって浦島明神となったというものである。 ...左に社殿を見て、大鳥居を抜ける拝殿 重厚な立派な造りである 拝殿の浦島太郎鬼瓦拝殿の竜宮城鬼瓦拝殿の狛犬 前掛け? 涎掛け? をしているのは、珍しいかも・・・拝殿 正面 木細工も、鬼瓦の細工も面白い!拝殿 正面2拝殿 鬼瓦1拝殿 鬼瓦2拝殿 鬼瓦3本殿本殿2本殿3奉納された古い木彫り面があった。次は、椎根津彦神社(しいねつひこ) どちらの神社も2600年前から???ここも、佐賀関の山の中腹にあり、神武天皇は、西暦紀元前667年に東遷の為、日向国を出発せらた。その際、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)は当地より、水先案内として皇軍に従軍し、屡々勲功をたて、建国の偉業達成の為に盡瘁せられた。 皇紀二年(西暦紀元前659年)春二月、天皇は論功行賞を行ない、椎根津彦命(しいねつひこのみこと)を倭国造に任ぜられた。(日本書紀)これを伝え聞いた当地の里人たちが、小祠を建てて命を祀ったものが、この神社の創祀と伝えられる。過去に、何度も火災や台風で消失、損壊を繰り返し、現在の神殿は、昭和30年に再建されたものである。拝殿神殿彫り物1彫り物2彫り物3 彫り物は、結構立派なものだったと思います。