カテゴリ:昔はみんな貧しかった でも幸せだった。
キャロルはわんちゃんのパラダイス写真館http://r.goope.jp/ 我々幼少の頃のオヤジと言うものは凄まじい権限を持っていた。殴る、蹴るなどは日常茶 飯事で私もオヤジに殺陣を突いて血祭りに上げられたものである。殴られる理由には此方に 非がある訳でそれによって親を恨んだりはしなかった。何をするにもオヤジを中心に回ってお り食事をする時もはるかにオヤジのおかずの量が多かったし、オヤジの好みで毎日の献立が 廻っていた。そして、必ず一品二品多かったものだ。そのおかずに限って異常な興味を示し、 一度、食べてみたいと母親にせがんで見たものの、睨みつけるばかりである。なぜかオヤジも くれなかった。食事中に無駄口を叩くと叱られるので家族は黙々と食事をする。今からは想像 も出来ない家庭の風景だがこれが当たり前だと、その頃は思っていたものである。当時、我が 家には不思議な事にオヤジの歯ブラシ一本しかなく、当然ながら我々の歯ブラシはない。要は 我々は歯磨きなどしなくていいと言うことらしい。歯磨きを許されたのは中学生になってからで あり、情けない事に自分の歯ブラシを持った事に異常な喜びを感じた。しかも世間で使われて いるようなチューブに入ったおしゃれなものではなく、粉末の歯磨き粉だった事を覚えている。 当時、子供用のイチゴ味のチューブに入った歯磨き粉は私の羨望の数少ない一品でなぜか 今になっても商品を見ると心が騒ぐ。そのしわ寄せか、母親が生涯、歯で苦しめられていた記 憶が残っている。昔、家庭内でのオヤジはいい意味での威厳があり、今の時代のように子供 と同じ目線で友達感覚の付き合いでは決してなかった。それが良いか悪いかは私には判らな い。ただ厳しく育ててくれたオヤジには感謝している。そんなオヤジも長年連れ添った母が逝っ たとき、初めてオヤジの涙を見た・・・。オヤジ49歳の時である。誰にも判らないように夜中、 一人で泣いていた。よほど母親をきずかったのかその後、浮いた話を聴いたことは一度もない。 文章と写真は関係ありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.03.10 20:09:39
|