カテゴリ:昔はみんな貧しかった でも幸せだった。
キャロルはわんちゃんのパラダイス写真館http://r.goope.jp/ 悠仁親王のお印が高野槇である。高野槇という言葉を聞いて、若輩の頃の思い出が よみがえってきた。現在では高野山に登るのはケーブルカーもあり簡単に山上に到達するし、 それが日常的な参拝者の方法である。ところが空海を回想しながらこの高野山、一度歩いて 登ったことがある。遥かな昔はみんな歩いて参拝した訳だが今はそんな無駄な事を考える吾 人はいない。山の麓に慈尊院というお寺があるが、ここが昔の高野参拝の出発点で昔はこれ 以上女性は先に進めない。有吉佐和子の「紀ノ川」にも詳しく慈尊院の事が書かれているが、 ここは子授け、安産祈願のお寺で、面白いことに、乳房の絵馬に願いごとを書く。まったくなま なましい型をしたものや、布で作った垂れ下がったおばあちゃん風などさまざまな乳房がお寺 狭しとぶら下がっている。いいお寺ながら残念な事に、交通の便が悪く遠方からの参拝者はほ とんどいない。目下には雄大な紀ノ川が静かに流れ、空は冬のせいか空気が澄み、晴天の空 に野焼きの煙が天を突く。その日も伽藍内はカメラをぶら下げた、いかにも見るからに不審そ うな私一人だけであった。「町石」と呼ばれる物がここから山上の根本大塔まで約24キロ。1町 約108メートル置きに180本の町石が山道の参道に立っている。空海の時代は木製だが鎌 倉時代に御影石に立て替えられた。高さ3メートル、幅約30センチ、今でいう道案内版の役目 を果たしている。急な坂道を登るにつれ周りはなるほど、実にいい風景である。紀州の山並み が屏風を重ねたように見える。いっぷくの南画を鑑賞しているようで日本の原風景とはこの様 な風景を指すのだろう。人恋しや・・・と出会いを求めても人は私以外まったくいない・・・。恐 らく当時はこの道の存在も知られていないのかも知れない。何時間歩いても人にあわない。高野 槇の自生地に入ると昼間でも薄暗く男の私でも自然と歩くスピードが速くなる。まったく音はな い。落ち葉を踏みしめる音しかしないのである。今歩いている道は間違いなく空海が歩いた道 であり、空海も同じ風景を見ながら登ったのだろうと思うと恐れながら時空を越え、魂や思考 が共有できると想うのは少々考えすぎか。山頂に着いたのはもう廻りは薄暗くなっていた。そ こには月影に微かに輝く美しい根本大塔の姿があった。その横でうす汚れた姿で、カメラをぶ ら下げ、くたびれた顔をしながら立ちすくんでいたのはもちろん私だった。 文章と写真は関係ありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.03.12 21:04:38
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