カテゴリ:日々雑感
帯津良一先生の講演会に行ってきた。
外科医から、西洋医学の限界を感じて「ホリスティック医学」に転向し、気功や食事療法を取り入れた病院で、ガンの治療を行っている先生である。 本も沢山書いているから、知っている方も多いだろう。 1時間半の講演で、1時間がお話、30分が気功(呼吸法)の実践というプログラム。 お話のほうでは、ホリスティック医学の説明が大半だったが(もちろん脱線大いにありで、それが面白かった)、「健康の家」の土台は心、という話が一番興味深かった。 なんでも、今の病院を始めるとき、病気には心の持ち方が大事、「明るく前向きに」という方針で、心療士やカウンセラーをそろえてやってみたのだが、3ヶ月でやめてしまったのだという。 「人間は、明るく前向きにはできていないんですよ。さびしくて、悲しいのが、人間の本質なんです」 それは納得。もちろん個人差はあるけれど、放っておけば悲観的になってしまう人間のほうが多いのでは??? まして病気のときに、ただ「明るく前向きに」なれといっても、無理な話かもしれない。 「だから、寂しくて悲しいことを肯定するんです。そして、そのなかで、「ときめき」が感じられるようなことがあれば」 今日あんなことがあってときめいた。こんなことがあってときめいた。それをできるだけ沢山重ねていく。そうすると、悲しいことを経験してのときめきだから、根がしっかりしている、という。 なるほどねえ。 ときめきと言われて思い出したのが、ヴェルディの建てた老人ホーム「憩いの家」の老音楽家たちである。 あそこに暮らす老人たちが元気なのは、「音楽をやると元気になる=音楽を通じて『ときめき』を感じられる」からかもしれない。 「食事療法も、健康法も、長くやっているうちにだんだんいいかげんになってきまして」 先生は言う。 「食事も、最終的に「ときめき」があればいいんだ、と。カツ丼を食べるときだって、このカツ丼には『ときめき』があると思えばいい」 いつも「カツ丼」というわけにはいかないだろうけれど、たしかに食事療法をやっているとストレスがたまるだろうから、「カツ丼」(=体に悪いけれど好物)も、時には必要ですよね。 「ときめき」っていう言葉、応用範囲が広いんですね。今度色々使ってみようかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
July 19, 2006 07:00:07 PM
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