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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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July 15, 2006
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カテゴリ:音楽
 久しぶりに「蝶々夫人」を観て来た(二期会公演)。
 栗山昌良さんの、純日本的な美しい演出で(着物姿の女性陣の動作の美しいこと)、会場はほぼ満員。休憩時間に会ったオールドファンは、安心して観られると安堵?していた。そう、やっぱりこういうファンを忘れてはいけないのです。
 演奏のほうは、主役の木下美穂子さんが体当たりの熱演。将来性のある人だと思うけれど、第1幕などはかなり不安定で、ちょっと気になった。本当なら、もう少し熟成?させてあげればいいのにな、と思う。スズキ役の永井和子さんがベテランの強みでうまさを堪能させてくれた。指揮が荒いのが玉に瑕。

 ところで、この「蝶々夫人」というオペラ、音楽は本当に美しいのだが、私は時々居心地が悪くなってしまう。ヒロインの蝶々さんに対する感情移入が要求されるので、どこかで入り込みそびれてしまうと、そのままずっと居心地が悪くなってしまうのだ。
 今回もそうだった。第1幕の、蝶々さんが尋ねられるままに、「15歳」と年齢を明かすところでしらけてしまい、そのまま最後まで違和感が残ってしまったのだ。

 もちろんオペラのストーリーがばかばかしいものであることは、十分承知しているつもりである。けれどこれがたとえばヴェルディやモーツァルトだったら、ここまで強烈に感情移入を要求しないから、ある程度突き放していても楽しめる。だがプッチーニの、とくに「蝶々夫人」は、作者のヒロインへの入れ込みようの成果なのか、蝶々さんの運命に涙を流せないと、なんとなくいけないような気分になってしまうのである。
 そして観客も、のめりこむひとはとことんのめりこんでしまうから、よけいに居心地が悪くなる。

 今回も、第2幕の最初から、ずーっとすすり上げている女性がいた。
 むろんそれを否定するつもりはないし、のめりこめてうらやましいといえばうらやましいかもしれない。だがこちらが取り残されたままで1時間以上すすり泣きが耳に入ってくると、しまいには雑音になってしまう。音楽に集中できなくなってしまうのである。

 帰り道、だんなにぶつぶつ言っていたら、「ばかばかしい話に共感できてしまうのが、音楽の力」なんだろうが、と説教されてしまった。
 「でもさあ、こんなに共感を要求する作曲家ばかりじゃないよ」
 未練がましくぶつぶつ思っていたら、
 「だからプッチーニが苦手って言うひと、けっこういますよ」
 翌日、ある業界関係者?にそういってもらって、納得した。あまり苦手意識を持つのはよくないのだけれど・・・。
 
 思えば昔から、卒業式で皆がもらい泣きなどしていると、覚めてしまうほうだった。あまのじゃく?なのかも。





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最終更新日  July 19, 2006 08:23:34 PM


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