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「人生が変わったこの一冊」、今日は番外編として、これまで訳し、印象に残った二冊をご紹介させていただきます。
一冊目 ハンス・ヨアヒム=シュルツェ 「コーヒーハウス物語」(洋泉社) 原題は「ああ、コーヒーはなんて美味しいんでしょう!」このタイトルは、バッハの「コーヒー・カンタータ」の一節です。ただ、それをそのままタイトルにしても日本人には(よほどのバッハ通でない限り)ピンとこないだろう、ということで、邦訳はこのタイトルになりました。編集を担当してくださった江森一夫さんのアイデアでした。 原書のタイトル通り、「コーヒー・カンタータ」の壮大な解説書とでもいうべき一冊なのですが、とにかく面白い!コーヒーとコーヒーハウスの起源から始まり、18世紀前半のヨーロッパを席巻したコーヒー・ブーム(バッハ以前にもいくつも「コーヒー・カンタータ」があったのです)、当時の、そしてライプツィヒの「コーヒーハウス」の実態、「コーヒー・カンタータ」の解説、そしてコーヒーの輸入過剰から禁止令に至るコーヒー・ブームの終焉まで、「コーヒー」を鍵にしたちょっとした社会史。それを、「歩くバッハ事典」というふさわしいバッハ研究の碩学、シュルツェ博士がユーモアたっぷりに綴るのです。「バッハ関連の本」にしてはとても読みやすいし、装丁もしゃれていて一読で虜になりました。英訳も出ていて、ライプツィヒの「バッハ博物館」に行くと英独両方の版が売られています。(残念ながら邦訳は販売されていませんが。。。) まだドイツ人にとってコーヒーが未知のものだった17世紀に、オランダからコーヒー豆を送られたドイツの田舎街の商人が、コーヒーのいれ方を知らず、豆をコンソメに入れて煮ちゃった、なんて話は笑えました。それから1世紀後に訪れたコーヒー・ブーム。「コーヒー・カンタータ」はそれを背景に生まれたのでした。 訳書のページはコーヒー色になっていますが(お洒落!)、これも江森さんのアイデアです。「絶対売れるよ!」と大騒ぎして売り込み、大量に売れ残ってご迷惑をおかけしました。。。。在庫がはけたのは、中村紘子さんが「BSブックレビュー」で取り上げてくださったから。有名人とテレビの威力を思い知りました。 残念ながら絶版ですが、ご縁があれば復刊させたい一冊です。 シュルツェ 「コーヒーハウス物語」 洋泉社 二冊目 アンドレア・バッティストーニ「僕たちのクラシック音楽」(音楽之友社) もう一冊、印象に残っている訳書は、ご存知マエストロ・バッティストーニの初めての著作「僕たちのクラシック音楽」です。 原題は「Non e Musica per Vecchi(=シニアのための音楽じゃない)」。「クラシック音楽」にまつわる「古臭い」というイメージを払拭したいためのタイトルなのですが、流石に原題の訳をタイトルに使うのはためらわれ、このようなタイトルになりました。 原書は、2013年にコモでバッティにインタビューした帰りにミラノの書店で見つけて購入。これは訳さなければ、というわけで、音楽之友社さんが引き受けてくださいました。 原文はもちろんイタリア語で、とても私一人で訳す力はなく、イタリア語のプロで、いっとき文法のクラスなどでお世話になった入江珠代さんに下訳をお願いしました。入江さんはチェロも弾くので、やはりチェロ弾きのバッティとは話があって、打ち合わせをかねた食事会でも盛り上がった記憶があります。原文と突き合わせつつ5回くらい書き直したので、相当にイタリア語の勉強になりました。 で、これ、本当にいい本です。彼の才気と音楽への愛が溢れています。ユーモアのセンスもある。もともとすごい読書家なので、バックボーンにただならない教養があるのも伝わってきます。何より、クラシック音楽が忘れられかけている!危機だ!博物館みたいに思われている!でもクラシック音楽って、オペラって、本当に素晴らしいものだよ!と、幅広い読者を想定して語りかけてくる熱意が素晴らしい。 「なぜ私のような変わり者(実は、けっこういるんです)は、何世紀も前に死んだひとたちの作品を勉強することに、人生を捧げようとするのでしょう? なぜ私たちは、人生をクラシック音楽に捧げたいという願望にとりつかれて、クラシック音楽に将来を賭けるのでしょう? 私は、オーケストラの音がなくては、オペラへの情熱がなくては生きていけません。これから、その理由を説明しようと思います。音楽の授業をするつもりはありません。私が語りたい音楽は、退屈とは無縁なのですから」(「前奏曲」より) 全体は6章に分かれ、彼自身の体験や気持ちを語る「前奏曲」「間奏曲」「後奏曲」がつきます。 各章のタイトルと簡単な内容は以下です。第1章、第4章、第5章にはそれぞれ5曲が紹介されており、QRコードで聞くことができます。 第1章 オーケストラとの出会い (彼のこれまでの軌跡、オーケストラの魅力、オーケストラの名曲5曲の解説) 第2章 指揮台で (指揮者の仕事とは何か) 第3章 マエストロ(名指揮者たち) 第4章 大いなる挑戦〜作曲という仕事 (大作曲家五人とその代表作) 第5章 劇場人の使命 (オペラができるまで、オペラ名曲5作の解説) 第6章 砂漠のオペラ(パルマ王立歌劇場を率いてオマーンへ行った時の回想。国境を超える音楽の魅力) 各章の導入には、バッティ自身の体験や経験を語るエッセイ的な部分がつき、その後で解説に入る構成です。原書は導入部は斜体にしてあったのですが、邦訳では導入部を「である」調、本文を「ですます」調にしました。 どの章も面白いのですが、特に第2章の導入部で、チャイコフスキーの「悲愴」の第一楽章を指揮している様子を綴った部分は大変面白かったです。指揮者は指揮台の上でこんなことを考えているのだ、こんなことをしているのだ、と手に取るようにわかるのです。そして彼の言葉も、時に詩人のそれです。 「第一楽章のクライマックスだ。チャイコフスキーは、僕たちの目の前に、真っ暗で底なしの裂け目を開く。僕たちは、この大きな空虚から生まれ出て、人生の最後には再びそこへ堕ちていくのだろう。僕の内にひそんでいる亡霊たちが、この淵から湧き上がってくる。僕は彼らと向き合い、踊り、親しくなり、そして憎む」。 第5章、オペラの章の冒頭も素敵です。 「劇場は船だ。 夜、リハーサルの後、オーケストラのメンバーや歌手たちが帰っても、なんだかんだと楽屋でグズグズしていて、僕ひとりが遅くなってしまうことがある。そんな時、出口へ向かう前に、舞台の袖を通るのが好きだ。 人気がなくなり、静まりかえった劇場では、古い建物が、見えない波に揺られるように上下しているのがわかる。木のきしむ音、天井の梁から下がるロープは、帆船のようだ。それを上がっていけば、マストから見渡せるような景色が広がっているのかもしれない」。 最後の最後に付録のようにあるのは「冗談まじりの音楽小辞典」。これがまた面白い。バッティのユーモア全開です。「序曲」なんていう真面目な項目もあるのですが、一方で「キャンディ」なんていう項目もあります。 「キャンディ もしコンサートにキャンディを持参するなら、ぜひ包み紙をはがしてきてください。ホールの静けさや、永遠に続くかのようなピアニッシモのなかで包み紙を剥く音を立てるのは、お葬式で笑い声をたてるようなものですから!」 冒頭に、「日本の読者の皆さんへ」と題された、訳書版「まえがき」があるのも嬉しい。冒頭の一文は「日本は「音の国」です」。 なぜ?と思われた方は、ぜひ本書をご一読ください! バッティストーニ「僕たちのクラシック音楽」 「悲愴」は東京フィルとの快演がCDに。彼は現在東京フィルの首席指揮者で、ディスクもたくさん出しています。CD第一弾のレスピーギ「ローマ三部作」も、目の覚めるような名演です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
June 13, 2020 01:00:41 PM
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