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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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August 5, 2020
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カテゴリ:音楽
バッハ ・コレギウム・ジャパン(BCJ)が、今月3日、「マタイ受難曲」で公演を再開しました。3月に、「ヨハネ受難曲」を携えて行ったヨーロッパツアーが中断されて以来、およそ5ヶ月ぶりです。
 ヨーロッパでは2公演を行ったところで中断。最後、ケルンのフィルハーモニーホールでの「ヨハネ受難曲」は、無観客で上演され、ストリーミング配信が行われました。それは鋭利な緊張感に満ちた演奏で、指揮した鈴木雅明先生が、後で「劇的で緊張感に満ちた『ヨハネ』は、どんどん追い込まれていったあの時の状況に相応しかった。『マタイ』でなくて『ヨハネ』だったのはぴったり」と語っていらっしゃいましたが、まさに、とうなずける演奏でした。
 そして今回の再開は「マタイ受難曲」。これもまた、今の状況にこれ以上なくふさわしい、と思える作品でした。「ヨハネ」も「マタイ」も、これこそ「天の配剤」ではないかと思えるほど、ぴったりだったと思います。
 
 劇的な「ヨハネ」に比べ、「マタイ」は「叙情的」だと言われます。福音書自体の性格がそうなのです。受難の記述も「マタイ」の方が長いし、進行もゆっくりと、出来事を噛み締めるように進みます。息もつかせぬ「ヨハネ」とはそこが違う。そして「ヨハネ」は、絶対的な「神」の力を示しますが、「マタイ」は受け手と一緒に歩む。戸惑いながら一緒に進み、寄り添う。だからいろいろなアリアが生まれるし、人気も高いのでしょう。そう、バッハは、福音書に忠実に作曲しているのです。「マタイ」ではイエスは「愛のために」十字架にかかりますが、「ヨハネ」では「受難」は、神の予言の成就です。
 で、今回は、やはり「マタイ」でよかった、と思います。苦しみ、迷いながら受難を受け入れ、十字架へ向かうイエス。その苦難の道のりは、まさにコロナ禍で今私たちが体験している道のりなのですから。
 
 開催にあたっては、徹底した対策が取られました。まず、観客の人数は定員の半分以下ですが、ほぼ完売の公演だったため、なんと1日に2回!上演。3時間半の大曲を、12時と18時半からの2回。ほぼ出ずっぱり、歌いっぱなしです。エヴァンゲリストを歌った櫻田亮さんの負担はどれほどだったでしょうか。
 舞台上は飛沫を避けるため、合唱団を2列にして前に、オーケストラを後ろに配置。合唱団の2列の間には、飛沫を防ぐアクリル板が置かれました。まあ、アクリル板だらけです。笑。
 編成も絞り、ディスタンスもたっぷりとったので、舞台の上にアーティストが目一杯広がっている感じでした。
 実はこれ、音響的には非常に贅沢でした。オーケストラの響きが声をふわっと包み込み、客席の人数が少ないこともあってよく響く。大聖堂でオルガンが鳴っているような感じです。また、おそらく、ディスタンスがあるぶん、歌手のお一人おひとりが、普段より声を張っていたのではないかと思う。全体として皆さんとても明瞭な歌唱でした。そして、人数が少なくて広がっているぶん、誰が何をしているかよく見えるのも、実はとても良かった。二つに分かれているオケと合唱の形態もよーくわかりました。この形態、コロナ後も一つのスタンダードになるといいかもしれません(もちろんアクリル板はなしで)。
 
 もう一つの今回の収穫は、オール日本人キャストです。予定されていた外国人歌手たちの来日が叶わなかったため、ベテランから若手まで、オール日本人キャストが組まれました。今回ソロを歌った方たちにとっては、とてもいい機会になったのではないでしょうか。コロナ禍で、少なくとも一部の日本人アーティストには、チャンスが提供されていると思います。
 
 皆さんそれぞれ力を発揮していたと思いますが、やはり第一の功績者は、エヴァンゲリストの櫻田さんです。繰り返しですが昼夜2回!のエヴァンゲリストを高いレベルで成し遂げられる日本人テノールは、他になかなか思いつきません(私は夜の回を聴きました)。クリアで明るい声、美しいディクション、劇的な語り。「ペテロの否認」のくだりの苦悶と、イエスの死を告げる場面の哀悼は、今回の上演の白眉でした。
 
 もう一つのハイライトは、「マタイ」のソプラノソロを初めて歌った(意外!)という森麻季さんのアリア「愛ゆえに」。イエスが「愛」のために十字架にかかることを歌う、「マタイ」の真髄ともいえる曲ですが、森さんの澄んだ柔らかな声と滑らかなフレージングで歌われた「愛」は、この世から飛び立ってゆくイエスを迎える天への道のようでした。菅きよみさんのトラヴェルソも絶品。
 そのほかのアリアもどれも美しく、惨劇の中にあっても美しいバッハの音楽の真髄をとことん伝えてくれました。
 
 イエス役の若いバス、加耒徹さんも、華奢な体からは想像もつかない格調のある、しっかり響く声で、尻上がりに存在感を発揮しました。これからが楽しみです。
 
 器楽奏者のオブリガートも贅沢の極み。鈴木秀美さんのチェロ、若松夏美さんのヴァイオリン、福沢宏さんのガンバ、前田りり子さんのトラヴェルソ…日本を代表する古楽奏者たちの名技を味わう贅沢。今年30年を迎えたBCJは、まさに日本の古楽の揺籃の地であり、牽引役であったことを改めて思い知りました。そしてその背後には「バッハ」がいるのです。バッハなくしてBCJはもちろんありませんし、日本の古楽がここまで世界水準になることはなかったでしょう。
 
 そして客席の真摯さ。舞台との一体感がものすごかった。終演後は客席総立ち。コロナ中断後の再開公演で、これほど客席と舞台が一つになった公演を知りません。求められていたのだ、と痛感しました。
 
 今回、再開しているコンサートは、どこも聴衆の人数を絞って、半分以下でやっています。それでも、半分が埋まることはそうそうないという。今回の「マタイ」は、元々ほぼ完売で、そのため2回に分けたのですが、その時点でキャンセルはほとんどなく、これはとてもめずらしいそうです。やはり求められていたのでしょう。
 ある関係者が、「「マタイ」だからこれほど盛況だった。これが「ヨハネ」や「ロ短調」だったらこうはいかない」と言っていたのですが、そうだろうな、と頷けました。他の2つも大名作だし(個人的には、いつも言いますが「ロ短調」が一番好き)、2度でも聴きたいですが、特に今回の状況には「マタイ」が何よりふさわしい、と感じました。

 私の前列の方はしきりに涙を拭っていましたが、私もこの夜は「バッハの涙」を味わいました。泣け泣けと耳元で喚いてくる涙ではなくて、瞳の上にうっすらと浮かび、ずっと止まり続ける涙。ベタなオペラのように、登場人物がかわいそうで泣く、というような次元ではなく、生きとし生けるものの運命に思いを馳せるような、不思議な涙。悲しくもあり、嬉しくもある、本当に不思議な涙。
 
 ホワイエのバーも恐る恐る?営業しており、マスクをつけながらのホワイエ社交も活発でした。バッハ仲間が戻ってきた、一夜でした。





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最終更新日  August 5, 2020 10:35:34 AM


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