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今から11年前、「新潟県・中越大地震」が起きました。
そのころ、震源地の近くに勤務していたなぎさ。 その日は、土曜日だったのですが、たまたま出勤しており 夕方、コピーを取ろうと、コピー機の前に。 たまたま、当時の上司(大嫌いでした)が同じ部屋に来て くだらない話をふってきて うわあ…どっか行かないかな、この人…。 と思った瞬間、 ゴオーッという音がして 電気がパチパチッと点滅し、 ぐわらぐわら…!と揺れ始めると同時に電気が消えました。 立っていられない激しい揺れに、しゃがみこみながら 「この上司と一緒に、死ぬのはいやだ…」と思っていました。 幸い、しばらくすると、揺れは収まり、 ほかにも残っていた職員とも合流。 建物の中は真っ暗だったので、 とにかく外へ避難しよう、ということに。 外に出る寸前、大きな余震が。 その時まで、地震は、 本震が来ればあとはそれより揺れないと信じていたので もう肝がつぶれそうに焦りました。 家に電話するけど、まったく通じず。 その時点では、 私の携帯電話の天気予報では、 関東で地震、というメッセージ。 上司にそれを伝えると、 ここでこんなに揺れて、関東が震源だったら 関東は壊滅的だな、とのんびりおっしゃいました。 いや、だからさ、震源はかなり近いんじゃないの? 同僚のカーラジオから、震源は新潟県中越地方だと 情報が入り、改めてみんな青ざめました。 その後、小千谷や長岡に自宅のある方は 車で帰ろうとチャレンジしたけど、ダメだったそうです。 私は、といえば、 やっぱりまったく電話が通じないので 山越えでとにかく行けるところまで帰ろうと 走り始めました。 峠の山道に入ったとき、3度目の揺れが! これが、実は最も震源が近く 生まれて初めて、走っていてハンドルをとられる、という経験をしました。 なんとか車を道のわきに止め、揺れが収まるまで待ちましたが 揺れが収まっても、目が回っている感じで すごく気持ち悪かった…。 少し前にニッポンハムのトラックが ハザードをつけて、泊まっていました。 トラックが動き出したのを確認して 私もあとについて走っていきました。 すると、国道の交差点付近で ひび割れの段差ができていました。 トラックがそれを斜めに横断。 あのルートは渡れそう、と 私もあとについて横断しました。 今思うと、ひび割れ横断も、 その後のトンネル通過も かなり危なかったなあと思います。 …が、峠のトンネルを越えると、 そこは停電していませんでした。 電話も無事通じ、家は停電していないことが判明。 はいねも、ぢるも、無事だと聞き、 ほっと胸をなでおろしたのを覚えています。 その後、ひび割れの交差点は通行止めになりました。 1週間ぐらい通行止めだったので、 家に帰るぎりぎりのタイミングだったな、と思っています。 (ただし、その後、なかなか職場に戻れませんでしたが) 職場の近くも臨時避難所になり 上司は、部下の様子に声もかけずに ひとり炊き出しをゲットして、ひんしゅくを買っていました。 こういう時に、その方自身がでますね。 次第に被害の大きさが明らかになり たくさんの方が亡くなり 避難生活を余儀なくされた方も大勢いました。 避難生活中、車で寝泊まりし、 エコノミークラス症候群で亡くなった方も。 「震災関連死」という言葉もよく聞かれました。 その年の冬は、雪も多く、厳しいものでした。 あれから11年。もう11年。まだ11年。 亡くなった方のご冥福をお祈りします。 災害があると、さまざまなものが失われますが 防災意識や、体制は、少しずつ整ってきているように思います。 でも、実際に自分が逃げるとなると…どうするのかな。 11年前は、自分の家は被災しませんでしたが いつも、私が留守の時に、大きな地震が起きるので こういう節目に、いろいろなシミュレーションをしておく必要があるな、と思います。 でも、いざというときは、どんなに準備していても 思わぬことが起きるのでしょうね。 ペットの避難は、うまくいくかどうかまったく不明。 まず、ねりを捕獲できるかしら…。 人間も、動物も、みんな無事に避難できますように。 しんみりしちゃいました。 元気なねりもご紹介。 この勢いで、ちゃんとキャリーかケージに入ってね! 今日も最後までありがとうございます。 ↓ よろしければ、下のねりちをぽちっとクリック応援お願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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