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明智光秀が実は天海和尚となって、100近くまで生きたという説が、僕は有力だと思
う。 光秀ほどの頭の良い、優れた武将が、そんなに簡単に自殺行為に走るはずがない。 いったん武将として生きることは諦めざるを獲ないが、恨みを晴らし、なおかつ生き 伸びる手立てを考え、そしていつの日かまた天下を取る夢を果たそうと。 そこで光秀は苦しい選択をし、秀吉と水面下で取引した。 信長をやった後、天下はくれてやるから自分を匿えと。 内心一日も早く天下を取りたかった秀吉にとって、またとないチャンスである。 忠義の精神も、虎視眈々と天下を狙う日々の表面的なもの。 そう!秀吉は、信長がいつ殺されるか前もって知っていたのだ。 だから大返しというような事ができ、誰よりも早く仇討ちが果たせた。 そして二人が立てた演出どうり、明智軍は滅ぼされ、身代わりを立てた上で、こっそ り光秀は匿われた。 何も知らず殺された、光秀の家臣はたまったものではない。 ひょっとしたら、本能寺を攻めろと発案したのも、秀吉かもしれない。 その後光秀は大僧正と言う地位にまで上り詰め、その後徳川家の知恵袋となり、最後 には家光を影で操り、春日の局と共に天下を動かした。 大僧正天海の墓は徳川家光の墓を、方角的に見下ろす所にあるらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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