鉄道唱歌の「小夜の中山夜泣き石」という歌詞が気になっていて
夫と息子を連れて見に行ってきました。
そもそも夜泣き石って何?
また、市の案内図を見ると夜泣き石が二つのっています
この謎も解明したい。
行ってみると、夜泣き石は本当に2つありました。
バイパスそばの丘の上に1つ。
お寺の境内にもうひとつです。
夜泣き石伝説は滝沢馬琴の脚色で有名になったらしい。
どちらの石にも「こちらが本物」と書いてないところが正直でいいよね、
というのが夫の弁。
バイパスそばの石は、明治初頭に東京で開かれた博覧会に出展されたと、
パンフレットに説明がありました。
以下は、地元の信用金庫のHPからの抜粋です。
『伝説小夜の中山夜泣き石』
その昔、小夜の中山に住むお石という女が菊川の里へ働きに行っての帰り中山の丸石の松の根元でお腹が痛くなり、苦しんでいる所へ、轟業右衛門と云う者が通りかかり介抱していたが、お石が金を持っていることを知り殺して金を奪い逃げ去った。
その時お石は懐妊していたので傷口より子供が生れ、お石の魂魄がそばにあった丸石にのりうつり、夜毎に泣いた。里人はおそれ、誰と言うことはなく、その石を『夜泣き石』と言った。
傷口から生まれた子供は音八と名付けられ、久延寺の和尚に飴で育てられ立派な若者となり大和の国の刃研師の弟子となった。
そこへ轟業右衛門が刃研に来たおり刃こぼれがあるので聞いたところ、『去る十数年前小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ』と言ったので、母の仇とわかり名乗りをあげ、恨みをはらしたということである。
その後弘法大師がこの話を聞き、お石に同情し石に仏号をきざみ、立ち去ったと言う。
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息子は、最近、鉄道唱歌をよく口ずさんでいます
6,7番の歌詞がお気に入り。
6. 横須賀ゆきは乗換と 呼ばれておるる大船の つぎは鎌倉鶴ヶ岡 源氏の古跡や訪ね見ん
7. 八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹(おおいちょう) 別当公暁(くぎょう)のかくれしと 歴史にあるは此陰よ
という歌詞なんですが、耳から聞こえたとおりに 歌うので、
一部「変換」されています。
6番の後半を
つぎは かまくら つるまおか
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と歌うのは愛嬌としても、
最後のところは「元気のラセンはややこしい」と自信タップリに歌うのは、笑えます。
7番は最後の方が「歴史に春はこの風よ」と歌うのですが
自分なりになんとか意味をつなげようとして変換するので、面白いです。